ん? じゃ、猫は?

 

芸術新潮と文庫 (500x405)

(左)『芸術新潮』2006年4月号/(右)『藤田嗣治「異邦人」の生涯』近藤史人著・講談社文庫・2006年5月12日第3刷

 

『藤田嗣治「異邦人」の生涯』等によると、藤田が猫を飼うようになったのは、パリに住んでいた1918年(大正7)11月、3回目の個展開催中のこと。まだまだ貧しいアパート暮らしの身ではあったが、少しずつ絵が売れ始めていた時期だ。モンパルナスのカフェで画家仲間と大騒ぎをして、家に帰る途中、壁際で子猫が背を丸めて鳴いているのを見かけ、アパートに連れて帰ったのが始まりだという。以来、藤田は猫を飼い続け、モデルがいない時にはいつも猫を描くようになった。

 

自画像1 (500x380)

『芸術新潮』2006年4月号より/パリのアトリエで描かれた自画像。1926年の作品。

 

やがて才能が認められ、絵が高値で売れるようになって、1927年(昭和2)にはテラス付きの新築に引っ越した。この時には10匹以上の猫が飼われていたそうだ。

 

藤田の自画像には傍らに猫がいることが多い。

1929年(昭和4)9月、17年ぶりに帰国した際も猫を飼っていた。フランスから連れて帰ってきたのだろうか、それとも猫はフランスに残し、あらたに日本で飼い始めたのだろうか。

 

自画像2 (500x375)

『芸術新潮』2006年4月号より/東京・四谷区左門町の家での純和風な生活ぶりを描いたもの。1936年の作品。おなかにもぐりこんだ猫のかわいいこと!

 

評伝を読むと、日本画壇とはいろいろあって、怒りを向けることもあった藤田だが、本来はとても繊細で、真面目で、誰にでも優しく、親身になって、心をつくして接する人物であったことがわかる。特に、画家仲間やモデル女性たちが病気になったり、お金に困っていたり、亡くなったりした時の藤田の献身ぶりは、読んでいて、胸が詰まるほど。

きっと、道端でおなかをすかせて鳴いている猫を放っておくことができず、次々と拾ってきてしまったのかもしれない。

 

ちなみに、今回参考にした本『藤田嗣治「異邦人」の生涯』の著者は、まだまだ藤田嗣治という人物について日本では語られることが少なかった頃、NHKスペシャルで藤田のことを取り上げたディレクター、近藤史人さんである。

取材先やあたった資料は膨大な量にのぼったが、特に重要だったのが、それまで沈黙を守り続けてきた奥様・藤田君代さんに取材ができたことだと思う。

 

その当時、君代さんはフランス国籍のまま、日本に戻り、都内のマンションで暮らしていたのだが、ひとり暮らしの君代さんが飼っていたのは猫ではなく、3匹の犬。

藤田と結婚し、波乱の人生を送った君代さんだが、人生の最後は、藤田が飼いたくても飼えなかった犬を飼い、藤田の思い出とともに、おだやかな日々を過ごされたことと思う。そして天国の藤田は、犬を大事にする君代さんを誇りに思い、「いいなぁ、本当は私も飼いたかったんだよ」とうらやましく思っていたことだろう…。

 

☆『犬の研究』の閲覧・複写に際し、東京農工大学図書館(東京都府中市)の方に大変お世話になりました。ありがとうございました。

 

ん? じゃ、猫は?

 

芸術新潮と文庫 (500x405)

(左)『芸術新潮』2006年4月号/(右)『藤田嗣治「異邦人」の生涯』近藤史人著・講談社文庫・2006年5月12日第3刷

 

『藤田嗣治「異邦人」の生涯』等によると、藤田が猫を飼うようになったのは、パリに住んでいた1918年(大正7)11月、3回目の個展開催中のこと。まだまだ貧しいアパート暮らしの身ではあったが、少しずつ絵が売れ始めていた時期だ。モンパルナスのカフェで画家仲間と大騒ぎをして、家に帰る途中、壁際で子猫が背を丸めて鳴いているのを見かけ、アパートに連れて帰ったのが始まりだという。以来、藤田は猫を飼い続け、モデルがいない時にはいつも猫を描くようになった。

 

自画像1 (500x380)

『芸術新潮』2006年4月号より/パリのアトリエで描かれた自画像。1926年の作品。

 

やがて才能が認められ、絵が高値で売れるようになって、1927年(昭和2)にはテラス付きの新築に引っ越した。この時には10匹以上の猫が飼われていたそうだ。

 

藤田の自画像には傍らに猫がいることが多い。

1929年(昭和4)9月、17年ぶりに帰国した際も猫を飼っていた。フランスから連れて帰ってきたのだろうか、それとも猫はフランスに残し、あらたに日本で飼い始めたのだろうか。

 

自画像2 (500x375)

『芸術新潮』2006年4月号より/東京・四谷区左門町の家での純和風な生活ぶりを描いたもの。1936年の作品。おなかにもぐりこんだ猫のかわいいこと!

 

評伝を読むと、日本画壇とはいろいろあって、怒りを向けることもあった藤田だが、本来はとても繊細で、真面目で、誰にでも優しく、親身になって、心をつくして接する人物であったことがわかる。特に、画家仲間やモデル女性たちが病気になったり、お金に困っていたり、亡くなったりした時の藤田の献身ぶりは、読んでいて、胸が詰まるほど。

きっと、道端でおなかをすかせて鳴いている猫を放っておくことができず、次々と拾ってきてしまったのかもしれない。

 

ちなみに、今回参考にした本『藤田嗣治「異邦人」の生涯』の著者は、まだまだ藤田嗣治という人物について日本では語られることが少なかった頃、NHKスペシャルで藤田のことを取り上げたディレクター、近藤史人さんである。

取材先やあたった資料は膨大な量にのぼったが、特に重要だったのが、それまで沈黙を守り続けてきた奥様・藤田君代さんに取材ができたことだと思う。

 

その当時、君代さんはフランス国籍のまま、日本に戻り、都内のマンションで暮らしていたのだが、ひとり暮らしの君代さんが飼っていたのは猫ではなく、3匹の犬。

藤田と結婚し、波乱の人生を送った君代さんだが、人生の最後は、藤田が飼いたくても飼えなかった犬を飼い、藤田の思い出とともに、おだやかな日々を過ごされたことと思う。そして天国の藤田は、犬を大事にする君代さんを誇りに思い、「いいなぁ、本当は私も飼いたかったんだよ」とうらやましく思っていたことだろう…。

 

☆『犬の研究』の閲覧・複写に際し、東京農工大学図書館(東京都府中市)の方に大変お世話になりました。ありがとうございました。