この日の朝、新聞を読んでいて、パッと目に入ってきた、このタイトル。

《「猫の画家」藤田 犬も大好き/寄稿や手紙発見》。

 

藤田新聞記事 (500x398)

 

猫の画家としても知られる洋画家、藤田嗣治(1886~1968)。

ふうん、犬も好きだったんだ。実際、犬も描いているしね。むしろ、「犬も大好き」という見出しで記事にするようなこと?…などと、少し斜めに見ながら、記事を読んでいくと、「犬は非常に好きだ」などと挿絵つきで雑誌に寄稿したものや、知人からもらった犬を返す際、犬の無事を祈って知人に書いた手紙などが見つかった、と。《巨匠の知られざる一面をうかがわせる貴重な資料》だとされているのだが、新聞に引用されている文章だけでは、そのあたりがよくわからない。

手紙は、秋田にある平野政吉美術財団で見つかったとのことで、さすがに秋田に行くことはできないので、とりあえずは、藤田が寄稿したという雑誌記事を読んでみたい…と思い、先日、この雑誌が所蔵されている東京農工大学の図書館に伺い、閲覧させていただいた。

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この日の朝、新聞を読んでいて、パッと目に入ってきた、このタイトル。

《「猫の画家」藤田 犬も大好き/寄稿や手紙発見》。

 

藤田新聞記事 (500x398)

 

猫の画家としても知られる洋画家、藤田嗣治(1886~1968)。

ふうん、犬も好きだったんだ。実際、犬も描いているしね。むしろ、「犬も大好き」という見出しで記事にするようなこと?…などと、少し斜めに見ながら、記事を読んでいくと、「犬は非常に好きだ」などと挿絵つきで雑誌に寄稿したものや、知人からもらった犬を返す際、犬の無事を祈って知人に書いた手紙などが見つかった、と。《巨匠の知られざる一面をうかがわせる貴重な資料》だとされているのだが、新聞に引用されている文章だけでは、そのあたりがよくわからない。

手紙は、秋田にある平野政吉美術財団で見つかったとのことで、さすがに秋田に行くことはできないので、とりあえずは、藤田が寄稿したという雑誌記事を読んでみたい…と思い、先日、この雑誌が所蔵されている東京農工大学の図書館に伺い、閲覧させていただいた。

 

藤田が寄稿したのは、昭和10年2月1日発行の『犬の研究』という犬の専門誌(既に廃刊)。タイトルは【フランス人と犬】である。

 

「犬の研究」1 (500x383)

『犬の研究』犬の研究社刊/昭和10年2月1日発行より

 

昭和10年(1935)というと、十数年のフランス生活のあと、ブラジルやメキシコなどの旅を経て、日本に帰ってきていた時期。サブタイトルが【日本人はまだ犬の愛し方が足りない】となっているところから想像するに、日本での犬の扱われ方はひどいと感じ、「ここはひとつ、フランスで犬がどれだけ大事にされているかを知っている私が忠告しなければ」と思ったのかもしれない。

 

たとえば、フランス人は犬を連れてよく散歩をするが、日本では犬を連れて歩く所がない、公園はあるが、そこに行くまでの往来が混み合っていて大変だ。犬を連れては歩けないと言ってよいだろう、というような話からはじまり、なるほどそうか、藤田は日本人の犬の飼い方で、こういうところが気になったのだなと思ったのが、次に引用する、この話。

《犬は人間でも喰べられる食物をやらねばならぬ。棄てる様な残り物をあてがひ、その上慾張って番でもさせようと考へてる蟲のいい人もあるが、こんな考へではいけない。二、三十坪の空地に金網を張って、犬の運動場にしてゐるような人は彼地(*フランスのこと?)ではよく見受けるが、この位にしてやつて貰ひたいものである。……中略……とにかく、一般に日本人は犬の愛し方が足りないと思ふ》

 

残り物をえさにして、しかも番犬にするなんて、とんでもない!というわけだ。

 

また、人間社会での弱い者いじめを例にとり、中途半端に強い者が弱い者をいじめるのだという話に触れ、《この関係が犬對人間の間にも現はれて、小學生など、兎もすると犬を苛めて、可愛がることを知らぬ》と苦言を呈している。

 

犬の研究2 (500x382)

『犬の研究』に藤田が描いた犬の挿絵

 

あるいは、子どもに物をあげてご機嫌をとろうとする者があるが、そういうものではない。大事なのは愛、西洋の子どものほしがるものは愛である…とした上で、《犬でも出發は此処になければならない》《日本の愛犬家には、愛より自慢や競争意識で犬を飼ふ者が少なくない》と嘆く。

 

フランスには犬のための墓地もあった。広い墓地に石碑がずらりと並んでいて、愛犬を亡くした人がお参りするのを見て、《一生の友達でもあり、子供でもあり、又愛人でもある愛犬が静かに眠る墓、その墓にかしづいて、生前慰められた愛犬の霊を弔ふのは美しい》と感じていたようだ。

 

人も犬も同じである。下に見てはいけない。愛情をもって育て、清潔なところで、きちんとした食事を与え、最後まできちんとめんどうをみなさい!と、訴えたかったのだろうか。

そして、

《私も犬は非常に好きだ。それだけに犬の死を考へると淋しくてならぬ。普段仕事が忙しくて充分犬の世話を焼けぬ私は、殺すまいとして飼う氣になれないのである》。