人気の猫島。船から人が降りると、わらわらと人懐っこく近寄ってきて、やがて人を案内するかのように歩きだす…テレビの猫島レポートの見すぎ?(笑)かもしれないが、ほのぼのとしてのどかな、そんなイメージ。
さて、昨年9月に発売された『猫はふしぎ』。哺乳動物学者・今泉忠明先生による猫の雑学本で、ここに猫島ができた背景に関する話が載っている。
人気の猫島。船から人が降りると、わらわらと人懐っこく近寄ってきて、やがて人を案内するかのように歩きだす…テレビの猫島レポートの見すぎ?(笑)かもしれないが、ほのぼのとしてのどかな、そんなイメージ。
さて、昨年9月に発売された『猫はふしぎ』。哺乳動物学者・今泉忠明先生による猫の雑学本で、ここに猫島ができた背景に関する話が載っている。
猫島成立の背景と言っても、ネズミか何かを退治するために連れてこられて、その後、増えたのでは?と素人でも思いつくことなので、そこに驚きはないのだが、今泉先生が挙げている例が想像をはるかに超える壮絶なものだった。
本書によれば、昭和24年(1949)、愛媛県宇和島市の戸島にドブネズミが大発生した。このことをテーマにした作家・吉村昭の『海の鼠』(1973、新潮社)は、動物学の界隈では名著としてよく知られているそうだ。
島はネズミにとって、海産物あり畑の作物もあり、さらに天敵も少ないという最高の生活環境だったようで、多い時にはなんと60万匹ものネズミが生息していたという記録が残っている。周囲約17kmという小さな島に60万匹!
今泉先生によれば、《この多さ、具体的には昼間でもあちこちをネズミが走り回っているのを目にするほどの数です》。
島の人たちはネズミを何とか駆除したいと、ネズミ取りの罠や薬剤に加えて、アオダイショウやイタチなど、ネズミの天敵となる動物を放つ。ところが、アオダイショウは獲物を飲み込むと1週間は消化のためにじっと体を休ませるので、60万匹ものネズミを退治するには効率が悪すぎ、なわばり意識の強いイタチは、小さな島のなかで同士討ち状態に陥り、自滅してしまったそうだ。
そして満を持して投入されたのが猫!
ところが……《彼らの仕事ぶりはというと、ほとんど狩りはせず、ぐうたら過ごしていたようです。浜には魚の加工品や干物が並べてあるので、苦労してドブネズミを追いまわす必要はなかったからでしょう》ということだったらしい。ネズミを捕るどころか、魚の加工品を失敬するとは……トホホ。
が、今泉先生はこう続けている。
《役立たずのレッテルが貼られてしまったかと思いきや…不思議なことにドブネズミは姿を消しました。天敵の脅威に恐れをなしたのでしょうか、漁師たちは、大群をなして海を泳ぎ、四国本土へ渡ろうとするドブネズミに出くわしたと言います。ドブネズミの遊泳距離はせいぜい300mだから、おそらく海の藻屑と消えたのでしょう》
おぉ、そういうことか。
《島からドブネズミがいなくなってからはというと、アオダイショウはもともとあまり好まれないから姿をひそめ、イタチやフェレットは獲物がいなくなって消滅し、ネコは島の人に愛されエサをもらえたため残り、ネコ島が誕生しました》と、今泉先生は分析。
なるほど~とは思ったものの、動物学の世界で名著として知られているという『海の鼠』でもっと詳しく読んでみたくなり、探して入手してみた。