昨年7月に放送された「歴史秘話ヒストリア」の【漱石先生と妻と猫~『吾輩は猫である』誕生秘話】をご覧になっただろうか。ロンドン留学中に精神的に病んでしまい、帰国後はなにかと家族に当たり散らすこともあったという漱石の運命を切り開いた妻・鏡子と、『吾輩は猫である』のモデルとなったとされる猫のことを描いたものである。
漱石の気持ちを和ませ、家族との絆を取り持ち、名作を生むきっかけになった黒猫は、『吾輩は猫である』が発行された3年後の1908(明治41)年に亡くなったが、番組によれば、鏡子夫人は、このモデルとなった猫と同じような猫を探して、飼い続けたそうだ。
そして時は流れに流れ、昭和の終わり頃になって、その「子孫がいるかもしれない」と、黒猫探しをしたのが林丈二さん。全国の街や駅を歩いてはユニークなマンホールの蓋や看板などを見つけながら歩く路上観察の達人である。
昨年7月に放送された「歴史秘話ヒストリア」の【漱石先生と妻と猫~『吾輩は猫である』誕生秘話】をご覧になっただろうか。ロンドン留学中に精神的に病んでしまい、帰国後はなにかと家族に当たり散らすこともあったという漱石の運命を切り開いた妻・鏡子と、『吾輩は猫である』のモデルとなったとされる猫のことを描いたものである。
漱石の気持ちを和ませ、家族との絆を取り持ち、名作を生むきっかけになった黒猫は、『吾輩は猫である』が発行された3年後の1908(明治41)年に亡くなったが、番組によれば、鏡子夫人は、このモデルとなった猫と同じような猫を探して、飼い続けたそうだ。
そして時は流れに流れ、昭和の終わり頃になって、その「子孫がいるかもしれない」と、黒猫探しをしたのが林丈二さん。全国の街や駅を歩いてはユニークなマンホールの蓋や看板などを見つけながら歩く路上観察の達人である。
最初に探したのは1988(昭和63)年だという。その経過は『路上探偵事務所』(毎日新聞社刊/1990.11/その後講談社文庫)に。しかし、この時は見つからなかったので、再び「子孫」探しに出たのが、1993(平成5)年。その時の様子が『猫はどこ?』にまとめられている。
本書で、吾輩猫のモデルとなった猫についての記述がある。
(林さんが本書で“吾輩猫”と書いている。なにしろ、この猫には「名前がない」のだから、こうとでも言いようがなかったのだろうが、言い得て妙である)
①全身、黒ずんだ灰色の中に虎斑がある。
②一見、黒猫に見える。
③全身、足の爪まで黒い福猫。
最初の『路上探偵事務所』の時は、漱石が『吾輩は猫である』を書いた本郷区駒込千駄木(現在の文京区向ヶ丘)あたりを探したそうだが、『猫はどこ?』では漱石終焉の地、早稲田南町界隈。あの黒猫も、千駄木からの引っ越しの際に一緒に連れてこられているということで、期待も高まる?
そして、さすが路上観察の達人、林丈二さん。やみくもに探し回るわけではない。たとえば公園。漱石の住居跡の漱石公園では、ベンチでお年寄りが3人、日向ぼっこをしていたそうだ。
《今までの経験から、お年寄りがのんびりくつろいでいるような所は、猫も居心地がいいらしく、共に同じような環境に集まる傾向があるのである》
なるほど!
次に向かったのは神社。ここでは黒くはないが虎斑のある猫がいて、近寄ってアゴのあたりを撫でることはできたのだが、爪が黒いかどうかを確かめようとしたら、さすがにこれは嫌がられ、爪の色は確認できなかったようだ。
もう~ヤキモキするなぁ。結局、吾輩猫の末裔らしき猫は見つかったのかぁ~と、結果が気になって、ついつい、ページを飛ばして見てしまう(苦笑)。
…と、そこにあったのは豆腐屋の前に座る1匹の黒猫! お、ついに? 爪は黒かったのか?と勇んでページをめくったら……そこは既に別の猫の話になっていた。
でもって、神社猫の話が書かれていたページまで戻る。
するとそこに、この記述。
《実はその間の一九九二年十一月十四日、文京区の漱石邸だった近くで偶然それらしき「猫」に出会っている。……中略……。この貫禄といい、こいつが今までのうちで一番「吾輩モデル猫」に近い猫である》