さて、猫、である。

本書によれば、高峰秀子は大の猫嫌い。

家の庭にはのら猫がやってくることもあり、養女の斎藤さんが、時折、水などをあげていたらしいが、高峰秀子は、「猫は嫌い。気味が悪いから」とか「餌なんかやっちゃダメよ」などと言ってクギをさしていた。

ところが、1匹のメス猫のおなかが大きくなってきた。それを斎藤さんが高峰秀子に告げると、ぴしゃりとこう言い放ったというのだ。

「知りませんよ。餌をやったあんたの責任です。生まれたらどこかへ捨ててきなさい。段ボール箱にでも入れて」

「猫はどんどん子供を産みますよ。ほっといたら、うちは猫屋敷になっちゃいますよ」

 

えぇ~! あんなに可憐な顔で、こんなこと言うんだ…よほど猫が嫌いだったのね…。

 

そのうち、猫は子猫を産む。子猫の声がどこかから聞こえてくる。斎藤さんは「子猫が産まれたみたい…」と告げるが、高峰秀子は興味ないといった声で「そう」と言ったきりだったという。

ある日、ようやく子猫の姿を見つけた斎藤さんは、思わず小さな子猫を両手で握りしめ、高峰秀子のところに走ったそうだ。そして、「ほら!」と差し出した。はたして……

 

「アラ~ッ!」

 

高峰秀子は目をまんまるくして、「早くこっちへ」「ここに置いて」と言ったそうだ。

驚いたのは斎藤さんだった。

さっきまで地べたに転がっていた子猫である。《きれい好きの高峰の言葉とも思えない》と斎藤さんは書いているが、そんなことお構いなしという感じで、子猫を食卓の上に乗せ、子猫の頭を撫でては「眼はちゃんと見えてるのね」とか「ホラホラ、そっち行ったら危ないよ」などと世話を焼き始めたというのだ。

 

「猫は大嫌い」と公言していた高峰秀子の変わりようと言ったら!

食卓の上で遊ばせるわ、自分の膝で寝かせるわ…。

ある日には、食卓で子猫がおしっこをしてしまった。さぞかし怒ったことか…と思ったら、「きれいに拭いたから大丈夫」と平気な顔で言ったそうだ。

名前は「ノラ」と「タマ」。もちろん、高峰秀子が名付けた。

また、自分が気に入って取りよせていたパンケーキを、自分の箸でじかに子猫に食べさせることもあったという。

写真6「猫1」 (500x371)

『高峰秀子 暮しの流儀』より。

……いや、かわいいよ。2匹並んでテレビを見ているまあるい背中とか、寄り添って寝ているところとか…。写真を見ると、確かに、身もだえするほどかわいい!

私は猛烈な猫アレルギーで、猫が飼えないこともあり、「あぁ、私も飼いたーい。猫、触りたーい」とうらやましくて仕方がないが、でも、自分の箸でパンケーキを与えるって…。「洗面所には髪の毛1本落ちていなかった」というほどの“きれい好き”な人が??

これはもう、メロメロ、溺愛、ですね(笑)。

 

《毎日、毎日、高峰は子猫達に自分の箸でパンケーキを食べさせ、抱っこして、撫でて、その遊ぶ様に目を細めた。三か月間。病院に入る日まで》

 

高峰秀子が亡くなったのは2010年12月のこと。とすれば、ノラとタマは今、5歳ちょっとか。

本書の最後に掲載されている、この猫たちの話。斎藤さんはこんなふうに締めくくっている。

 

《「幸せだね、お前達は。こんな所に住まわせてもらって……」

私は大きくなったノラとタマに語りかける。

「かあちゃんの恩を忘れちゃいけないよ」

それは、私自身に語りかけている言葉だった。》

 

さて話は戻るが、冒頭でご紹介した女性が飼っていた猫も、高峰秀子が愛した猫たちと同じ「キジトラ」柄だった。犬派から猫派になったこともあって、「なんだかウチと似ているわねぇ」と、妙に親近感を覚えたらしい。『高峰秀子 暮しの流儀』も買って帰ってくださった。

こっちのキジトラちゃんは、今、2歳か。私が見た写真よりもずーっと大きくなって、かわいがってもらっているんだろうなぁ。

さて、猫、である。

本書によれば、高峰秀子は大の猫嫌い。

家の庭にはのら猫がやってくることもあり、養女の斎藤さんが、時折、水などをあげていたらしいが、高峰秀子は、「猫は嫌い。気味が悪いから」とか「餌なんかやっちゃダメよ」などと言ってクギをさしていた。

ところが、1匹のメス猫のおなかが大きくなってきた。それを斎藤さんが高峰秀子に告げると、ぴしゃりとこう言い放ったというのだ。

「知りませんよ。餌をやったあんたの責任です。生まれたらどこかへ捨ててきなさい。段ボール箱にでも入れて」

「猫はどんどん子供を産みますよ。ほっといたら、うちは猫屋敷になっちゃいますよ」

 

えぇ~! あんなに可憐な顔で、こんなこと言うんだ…よほど猫が嫌いだったのね…。

 

そのうち、猫は子猫を産む。子猫の声がどこかから聞こえてくる。斎藤さんは「子猫が産まれたみたい…」と告げるが、高峰秀子は興味ないといった声で「そう」と言ったきりだったという。

ある日、ようやく子猫の姿を見つけた斎藤さんは、思わず小さな子猫を両手で握りしめ、高峰秀子のところに走ったそうだ。そして、「ほら!」と差し出した。はたして……

 

「アラ~ッ!」

 

高峰秀子は目をまんまるくして、「早くこっちへ」「ここに置いて」と言ったそうだ。

驚いたのは斎藤さんだった。

さっきまで地べたに転がっていた子猫である。《きれい好きの高峰の言葉とも思えない》と斎藤さんは書いているが、そんなことお構いなしという感じで、子猫を食卓の上に乗せ、子猫の頭を撫でては「眼はちゃんと見えてるのね」とか「ホラホラ、そっち行ったら危ないよ」などと世話を焼き始めたというのだ。

 

「猫は大嫌い」と公言していた高峰秀子の変わりようと言ったら!

食卓の上で遊ばせるわ、自分の膝で寝かせるわ…。

ある日には、食卓で子猫がおしっこをしてしまった。さぞかし怒ったことか…と思ったら、「きれいに拭いたから大丈夫」と平気な顔で言ったそうだ。

名前は「ノラ」と「タマ」。もちろん、高峰秀子が名付けた。

また、自分が気に入って取りよせていたパンケーキを、自分の箸でじかに子猫に食べさせることもあったという。

写真6「猫1」 (500x371)

『高峰秀子 暮しの流儀』より。

……いや、かわいいよ。2匹並んでテレビを見ているまあるい背中とか、寄り添って寝ているところとか…。写真を見ると、確かに、身もだえするほどかわいい!

私は猛烈な猫アレルギーで、猫が飼えないこともあり、「あぁ、私も飼いたーい。猫、触りたーい」とうらやましくて仕方がないが、でも、自分の箸でパンケーキを与えるって…。「洗面所には髪の毛1本落ちていなかった」というほどの“きれい好き”な人が??

これはもう、メロメロ、溺愛、ですね(笑)。

 

《毎日、毎日、高峰は子猫達に自分の箸でパンケーキを食べさせ、抱っこして、撫でて、その遊ぶ様に目を細めた。三か月間。病院に入る日まで》

 

高峰秀子が亡くなったのは2010年12月のこと。とすれば、ノラとタマは今、5歳ちょっとか。

本書の最後に掲載されている、この猫たちの話。斎藤さんはこんなふうに締めくくっている。

 

《「幸せだね、お前達は。こんな所に住まわせてもらって……」

私は大きくなったノラとタマに語りかける。

「かあちゃんの恩を忘れちゃいけないよ」

それは、私自身に語りかけている言葉だった。》

 

さて話は戻るが、冒頭でご紹介した女性が飼っていた猫も、高峰秀子が愛した猫たちと同じ「キジトラ」柄だった。犬派から猫派になったこともあって、「なんだかウチと似ているわねぇ」と、妙に親近感を覚えたらしい。『高峰秀子 暮しの流儀』も買って帰ってくださった。

こっちのキジトラちゃんは、今、2歳か。私が見た写真よりもずーっと大きくなって、かわいがってもらっているんだろうなぁ。