Site icon にゃんこマガジン

猫神さまのネズミ退治。昔は蚕、今はイチゴ?

ちょっと調べ物があって、先日、国立国会図書館に行ってきた。

“国会”と言っても政治うんぬんではなく、いわゆる国立の図書館である。納本制度なるものがあり、書籍も雑誌も新聞も、日本で一番所蔵数の多い図書館だ。

が、しかし、専門誌や古い雑誌等になると欠号している場合もあり、私が探したかった古い専門誌は、肝心の号が欠号になっていた。

ということで、じゃあ、他に「猫」でおもしろいものがないかなと思い、簡易検索で「猫」を入れて検索してみたところ、いくつかありましたよー。

今回は、そのうちの1つ「猫神さま」の報告書を紹介する。

 

まず、「お!」と気になったのが『丸森の猫神さま』という、教育委員会が発行した報告書。

『丸森の猫神さま』丸森町教育委員会発行/平成24年3月1日)

丸森町は宮城県南部にある町。江戸時代から養蚕が盛んな地域で、蚕や繭の中のサナギを狙うネズミの害に困っており、養蚕農家では必ず猫を飼っていたそうだ。

(猫を飼っていたのは丸森町の養蚕農家に限らない。元禄15年(1702)に出版された日本最古の養蚕書『蚕飼養方記』で既に、《かならず能猫(よきねこ)を飼置(かいをく)へし》と書かれており、おそらく全国の養蚕農家が猫を飼っていたと思われる!)

 

報告書によると、猫を彫った石碑や石像はあまり知られておらず、馬頭観音や庚申塚といった石碑に比べると、実際、数も少ないらしい。

これが発行された平成24年(2012)3月現在、確認・調査されているのは宮城県が一番多く87基。全国的にみると、青森県2基、岩手県10基、福島県16基、山形県2基、栃木県4基、東京都2基、長野県11基…と、主に東日本の地域で見つかっている。

ダントツに多い宮城県の猫石碑・石像のうち64基が丸森町にあり、宮城の猫神信仰の中心であることから、調査が進み、本書が発行されたということのようだ。

『丸森町の猫神さま』より

石碑に彫られた猫の像容は「座っている」「伏せている」「飛び跳ねている」「寝ている」の4姿。座っているタイプが最も多く、後ろ足を曲げて座り、顔を正面に向けた姿勢をとっているものが一番多いそうだ。

石碑や石像が立てられた理由は、もちろん、良い蚕ができるようにと祈願するためが一番多く、「ネコガミサマ」と呼ばれ、実際に「猫神」などと彫られているものもあり、藁で作ったオアゲを供えるといった風習もあったが、中には供養のためにたてられたものも。また、猫の病気治癒や無病息災にご利益がある「猫神様」「猫神社」の祠もあり、養蚕農家が、蚕を狙うネズミを捕ってくれる猫を大事にしていた様子がわかる。

そしてもう1冊、『蚕の神さまになった猫』。

こちらは群馬県の富岡市立美術館・福沢一郎美術館の開館十周年を記念して開催された企画展の冊子である。

『蚕の神さまになった猫』富岡市立美術館・福沢一郎美術館発行/平成18年6月)

富岡と言えば富岡製糸場。古くから養蚕が盛んで、やはりこの地域でも猫が飼われていた。本書では、養蚕農家が猫を飼う様子を描いた錦絵も紹介されている。

この他にも、猫がネズミを加えている「猫絵」を蚕室に貼ってある様子を描いた錦絵や猫とネズミが登場するおもちゃ絵なども掲載されており、当時の養蚕農家の様子をかいま見ることができる。

蚕に桑の葉を与える部屋に黒ブチの猫が描かれている。首に巻かれた赤いひもには鈴がついている?

おもしろいのは、宮城県では蚕を狙うネズミを捕ってくれる猫を「石碑」にして祀ったり、供養していたのに対し、群馬県では“猫のお札”が流行したこと。群馬だけでなく、埼玉や長野、新潟でも猫のお札が多数発見されているそうだ。

キッと睨みをきかせる猫目が印象的な「鼠除け札」

中でも、一番ご利益があるとされ、有名だったのが「新田猫絵」。

江戸時代後期、新田岩松氏の温純、徳純、道純、俊純の四代にわたる殿様が描いた「猫絵」はネズミ除けに絶大な効果があると信じられ、群馬、埼玉、長野などの養蚕地帯に広まったというのである。

(4人目に名前があがっている俊純は、神坂次郎による時代小説『猫男爵』の主人公。「猫絵の若殿」という章があるので、読んだことのある方は、「あぁ、あの猫絵の…」と思いだされるだろう。新田岩松氏は石高が非常に低く、その苦しい家計を支えた1つが「猫絵」だと書かれている)

 

とにかく、この「新田猫絵」は大変な人気であり、なんと、にせもの?も出回っていたらしい!

「新田猫絵」と言えば、新田岩松氏四代の殿様によるものが正統。ところが、群馬県立博物館には、この四代以外の新田を名乗る猫絵も収蔵されており、新田一族の出自であることがわかっている人もいるらしいのだが(でも殿様ではない)、中には、どうにも新田一族とのつながりがわからない名前もあるというのだ。

いつの時代も、人気のあるものにはニセモノや、その名を騙る悪い輩がいたというわけか。

 

この「ニセモノ」話の他にも興味深い話が紹介されている。たとえば、

 

【薬のおまけに猫絵】

明治から大正にかけては、ネズミ除けをうたった刷り物も多く作られた。なかでも興味深いのは、「富山の薬売商人」が得意先に“おまけ”として配ったとされる多色刷り版画。養蚕の盛んな地域で喜ばれたという。

これらのなかには、「弘法大師が描いた猫の写し」とか「新田猫である」といった説明文が記されているものもあったそうで(もちろん、本物ではない)、それらを引き合いに出すことで、“ただのおまけ”を「もっともらしくしたかった」ということだったのだろう。

このあたり、今も昔も、人が考えることは同じなのだなぁ、おもしろいなぁ。

 

【ネズミをよく捕る猫、捕らぬ猫】

明治43年に『猫』を記した養蚕家・石田孫太郎さんの見聞によれば、オス猫とメス猫では、オス猫がよくネズミを捕り、毛色は三毛が良いとしている。反対にネズミをあまり捕らないのは、虎毛のオス猫だという。

他にも何冊かの本に、毛色によってネズミを捕ることの上手下手があることが書かれているそうだ。著者の経験値なのだろうが、そうしたことがハウツー本として広く伝えられていたことが興味深い。

なーんていうことを国会図書館で調べていたら、1月19日付けの「東京新聞」朝刊にこんな記事が載っていた。

『東京新聞』平成28年(2016)1月19日朝刊より

宮城県山元町は震災前、「仙台いちご」のブランドで知られた東北一の生産地だった。

ところが津波でいちご生産者の9割以上が被災。津波をかぶった地域でネズミが繁殖したとみられ、震災後、苦労して再開したのに、イチゴの実を食い散らかされるケースが相次いだため、猫を飼う農家が増えてきたという記事だ。

猫はイチゴには興味を示さず、人間の腰くらい高いベンチで栽培していることもあって、猫が直接いちごに触れることはまずないという。

猫を“採用”したいちご農家の方が「猫の気配に気づくからか、今季はまだ被害がない」と話されている。写真の猫は、いかにも「獲物、狙ってます」といったポーズだが、実際は猫がネズミを捕まえているより、ネズミが猫を避けているのかも(笑)。でも、十分に役に立っているようで、良かった、良かった。

 

仙台いちご、私も食べたことがあるが、出回る時期が他のいちごより少し遅め? 他のいちごが少なくなってきた頃に、近所のスーパーに並んだので、うれしくなって買ったのを覚えている。さっぱりとした甘さでおいしかったので、また食べたいなぁ。

現代のネズミ除け猫神さまたち、がんばれー!


関連記事:

writer