東中野に住むお客様から、おかきをいただいた。東中野駅前にある有名なおせんべい屋さん「かきもち処 はやしや」のおかきである。はやしやは創業77年の老舗。店頭には素材にこだわったおかき約100種類が並ぶ。その多くは店舗奥にある工場で丹精込めて作られた出来たてだ。口に入れるともち米の香りがふんわりと広がるそのお味は、中野の逸品グランプリ最優秀賞を受賞したお墨付き。難を言うなら、一度食べ出すと途中で手を止めることが難しいことだろう。

今回いただいたのは売り上げの一部が保護猫のために使われる、看板猫のもちこラベルの商品(もちこさんは看板猫ではあるが、店頭に立つことのないエア看板猫なので悪しからず)。

普段のもちこさんはこのように昼寝業務に勤しまれている

このもちこさん、実は当猫カフェ出身の元保護猫さん。正確に言えば、当店の前身「わんにゃんレスキュー隊(仮)」時代の保護猫である。わんにゃんレスキュー隊(仮)は、「隊」と名乗ってはいたものの、単なるヒトテンチョーの個人活動だ。東日本大震災から2年ほど、福島の原発事故避難区域で行方不明になったペットの捜索保護を行っていた。

そう、もちこさんは今でこそのんびりと家猫稼業に勤しんでいるものの、実は福島出身の被災猫で、いろいろな修羅場をくぐってきた強者なのだ。

現在の趣味は散歩。犬のようにスタスタと散歩するそう

もちこさんの出身地は福島県南相馬市。震災当時、ギリギリ強制避難を間逃れたエリアだったが、住民の多くが避難した町はガランとし、一緒に避難できなかった動物だけが残されているような状況だった。

もちこさんの元飼い主Wさんはもちこさんを含め7匹の猫と1匹の犬、家族と穏やかに暮らしていた。手入れの行き届いた庭が自慢で、庭や動物たちの様子を紹介するブログを日々綴っていた。そんな生活が、震災で一変。ブログは災害情報ニュースになり、殺伐としていった。

だんだんと原発事故の事態が深刻化していくと、避難区域は警戒区域となった。戻れなくなった住民たちが置いていったペットや家畜が食べ物を求めて放浪する光景。とても現代日本とは思えない様だったのを今も鮮明に記憶する。

2011年4月14日ヒトテンチョー撮影

そんな中、避難しなかったWさんは残されたペットたちにご飯を届けたり、ネット上に散乱する保護情報をまとめたりするようになった。そして、ネットに疎い高齢者や避難所生活でネット環境にない人たちに向けて迷子のペット情報を集約した冊子を刊行。約3200頭のペットの情報が掲載され、飼い主との再会に一躍した。

しかし、もともと膠原病という難病を患っていたWさんは無理がたたったのだろうか、病状が悪化。2014年6月末、帰らぬ人となった。犬猫を残しての旅立ち、本当に無念だったことと思う。

Wさんが命と引き換えに作成した迷子ペット情報冊子。全5版

Wさんのブログには、万が一の時のために、マイクロチップ番号を含む詳細な犬猫の情報が書かれていた。これがとても役立ち、お外に遊びに行ってしまってた猫も全頭捕獲でき、新しい飼い主の元へとつなぐことができた。ヒトテンチョーも里親探しやお届けなどのお手伝いさせていただいて、ちょうど猫を迎えたいと考えていたはやしやの娘であるまちこさんのところに「いちご」が行くことになったのである。

ところでWさんのブログを見ると、いちご時代のもちこさんはケンカっ早くてかなりヤサグレていたようである。上品にリードで散歩する今となってはとても信じがたいのだが。

ヤサグレ時代のもちこさん

後付けだが、もちこさんは真っ白でおかきの原料のもち米やお餅を連想させる白猫。そして福を呼ぶ金銀のオッドアイ。せんべい店の看板猫にこれ以上ない適任なのではないだろうか。

+++

保護猫写真家のねこたろうさんによる「猫と家族の写真展〜君たちはもう保護猫じゃない〜」が現在、岩手県奥州市の「猫ノ図書館」で展示されている。ねこたろうさんがライフワークで撮影した元保護猫の家族写真で構成された作品群なのだが、もちこさんとまちこさん一家の姿もここに収められている。

ちなみにもちこ印のラベルはグラフィックデザイナーだったまちこさんのデザイン。日ごろはもちこさんの散歩担当。譲渡当時10歳だったもちこさんの健康を考え、食事にも留意してくれている。

いろんなことがあったけれど、今を生きるもちこさん。そしてはやしや一家にも多大な影響を与え続け、大きな存在となっている。そんな風に、保護猫1匹1匹にはストーリーがある。猫を迎えたいと思ったら、そんな保護猫たちのことを思い出してもらえると嬉しく思う。

「飼い主よ、散歩はまだか」とおっしゃるもちこさん

(写真提供:かきもち処 はやしやねこたろう新装開店 お庭にようこそ

著者:CAT’S INN TOKYO

 


東中野に住むお客様から、おかきをいただいた。東中野駅前にある有名なおせんべい屋さん「かきもち処 はやしや」のおかきである。はやしやは創業77年の老舗。店頭には素材にこだわったおかき約100種類が並ぶ。その多くは店舗奥にある工場で丹精込めて作られた出来たてだ。口に入れるともち米の香りがふんわりと広がるそのお味は、中野の逸品グランプリ最優秀賞を受賞したお墨付き。難を言うなら、一度食べ出すと途中で手を止めることが難しいことだろう。

今回いただいたのは売り上げの一部が保護猫のために使われる、看板猫のもちこラベルの商品(もちこさんは看板猫ではあるが、店頭に立つことのないエア看板猫なので悪しからず)。

普段のもちこさんはこのように昼寝業務に勤しまれている

このもちこさん、実は当猫カフェ出身の元保護猫さん。正確に言えば、当店の前身「わんにゃんレスキュー隊(仮)」時代の保護猫である。わんにゃんレスキュー隊(仮)は、「隊」と名乗ってはいたものの、単なるヒトテンチョーの個人活動だ。東日本大震災から2年ほど、福島の原発事故避難区域で行方不明になったペットの捜索保護を行っていた。

そう、もちこさんは今でこそのんびりと家猫稼業に勤しんでいるものの、実は福島出身の被災猫で、いろいろな修羅場をくぐってきた強者なのだ。

現在の趣味は散歩。犬のようにスタスタと散歩するそう

もちこさんの出身地は福島県南相馬市。震災当時、ギリギリ強制避難を間逃れたエリアだったが、住民の多くが避難した町はガランとし、一緒に避難できなかった動物だけが残されているような状況だった。

もちこさんの元飼い主Wさんはもちこさんを含め7匹の猫と1匹の犬、家族と穏やかに暮らしていた。手入れの行き届いた庭が自慢で、庭や動物たちの様子を紹介するブログを日々綴っていた。そんな生活が、震災で一変。ブログは災害情報ニュースになり、殺伐としていった。

だんだんと原発事故の事態が深刻化していくと、避難区域は警戒区域となった。戻れなくなった住民たちが置いていったペットや家畜が食べ物を求めて放浪する光景。とても現代日本とは思えない様だったのを今も鮮明に記憶する。

2011年4月14日ヒトテンチョー撮影

そんな中、避難しなかったWさんは残されたペットたちにご飯を届けたり、ネット上に散乱する保護情報をまとめたりするようになった。そして、ネットに疎い高齢者や避難所生活でネット環境にない人たちに向けて迷子のペット情報を集約した冊子を刊行。約3200頭のペットの情報が掲載され、飼い主との再会に一躍した。

しかし、もともと膠原病という難病を患っていたWさんは無理がたたったのだろうか、病状が悪化。2014年6月末、帰らぬ人となった。犬猫を残しての旅立ち、本当に無念だったことと思う。

Wさんが命と引き換えに作成した迷子ペット情報冊子。全5版

Wさんのブログには、万が一の時のために、マイクロチップ番号を含む詳細な犬猫の情報が書かれていた。これがとても役立ち、お外に遊びに行ってしまってた猫も全頭捕獲でき、新しい飼い主の元へとつなぐことができた。ヒトテンチョーも里親探しやお届けなどのお手伝いさせていただいて、ちょうど猫を迎えたいと考えていたはやしやの娘であるまちこさんのところに「いちご」が行くことになったのである。

ところでWさんのブログを見ると、いちご時代のもちこさんはケンカっ早くてかなりヤサグレていたようである。上品にリードで散歩する今となってはとても信じがたいのだが。

ヤサグレ時代のもちこさん

後付けだが、もちこさんは真っ白でおかきの原料のもち米やお餅を連想させる白猫。そして福を呼ぶ金銀のオッドアイ。せんべい店の看板猫にこれ以上ない適任なのではないだろうか。

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保護猫写真家のねこたろうさんによる「猫と家族の写真展〜君たちはもう保護猫じゃない〜」が現在、岩手県奥州市の「猫ノ図書館」で展示されている。ねこたろうさんがライフワークで撮影した元保護猫の家族写真で構成された作品群なのだが、もちこさんとまちこさん一家の姿もここに収められている。

ちなみにもちこ印のラベルはグラフィックデザイナーだったまちこさんのデザイン。日ごろはもちこさんの散歩担当。譲渡当時10歳だったもちこさんの健康を考え、食事にも留意してくれている。

いろんなことがあったけれど、今を生きるもちこさん。そしてはやしや一家にも多大な影響を与え続け、大きな存在となっている。そんな風に、保護猫1匹1匹にはストーリーがある。猫を迎えたいと思ったら、そんな保護猫たちのことを思い出してもらえると嬉しく思う。

「飼い主よ、散歩はまだか」とおっしゃるもちこさん

(写真提供:かきもち処 はやしやねこたろう新装開店 お庭にようこそ

著者:CAT’S INN TOKYO