ご縁は待ったなし

セミナー三昧な日々を送り、週一で父のところにも顔を出し、仕事もし、市のスポーツ推進員(ボランティア)にもなってしまい、トラブルなんかもあり、なかなかに忙しい日々を送っていた6月のある真夜中。
どこからか、かすかに「ニーニー」と声がする。好に「猫の声?」と聞いてみるが、特に目立った反応なし。
翌日は仕事で20時過ぎに帰宅し、気になって懐中電灯を持って近所を捜索開始。すると、近所の家の物置の下から声がする。偶然、声がする家の人が外に出てきたので、事情を聴くと、ずっと鳴きっぱなしでどうしたらいいか判らないと言う。私には当時、保護の経験はなかったが、さすがに放っておくわけにもいかず、その場で保護を申し出て、敷地に入る許可をもらい物置の下を見ると、白い小さいのが鳴いている。産まれたてで胎盤つけたままで、ついでに瀕死。家に連れて帰り、獣医に電話をかけまくる。21時頃だったこともあり、結局どこもつながらず、好がお世話になっているN病院の留守電アナウンスでガイドされていた、川口の緊急病院へ電話。何しろ赤ん坊が瀕死。一刻を争う中で何をすべきか→温めるように病院から指示があったので、ゆたぽんチンして箱に入れて、タオル敷いて、小さいの乗っけて、車を飛ばす。

※ゆたぽん:レンジで温めるタイプの湯たんぽ。

病院へ到着後、獣医さんに問われる。「子猫を保護する人はとても多い。しかし助けるにはお金がかかる。10万円超えるケースもある。それでもあなたは助けるか?あとこの子は初乳を飲んでいるか?」
このセリフに、獣医さんもずいぶん理不尽な苦労をしてきたのだと察することはできるが、さすがにここまで来て後には引けない。こういう時のためのクレジットカード。回答→お金は判ったから助けて下さい、初乳は判りません。 獣医さんの回答は「全力を尽くします」だった。
酸素室で点滴つけて、夜中の1時まで様子見。一度帰宅し、朝になったら普通の病院に搬送するようにとのことなので、午前休をとって、N病院へ。
※午前休は部長に理解によりスムーズに取得(嘘ついてもバレるので、正直に報告)

akira1

N 病院に搬送したての晧。目も開いてなく、先生も生後3日内の保護はあまりないと言っていた(しかしその後、同じような事例が何件かあったらしい)

akira2

生まれつきしっぽなし。当時流行った「ハムケツ」っぽくて、可愛かった。チビとつけるともれなく大きくなるというジンクスから幼名は「ハムケツ・チビスケ」

N病院では2時間おきにミルク、温度管理も大切で目の離せない状態と診断。そして私はフルタイムの会社員。先生「僕、(お世話)やりますけどね!」と言って下さったので、そのまま入院すること約2カ月。口蓋裂傷があり、なかなかミルクを飲めずに成長が遅れる、さらに便秘等もあり、一時は皆が心配したが、そこは病院。「ベストをつくそう」を合言葉に、先生は夜、自宅に連れ帰って家族ぐるみでお世話、さらに看護師さんにも可愛がられ、結果、すくすくと育つ。保護猫活動をしている従姉妹に相談すると「先生を安心させるためにも、出来るだけ会いに行け」ということなので、なるべく時間を割いてお見舞いに行く。そうこうしているうちに当然情が移り、あっという間に手放せなくなる。そしてかかる結構な金額。事情を知る人に「名前を諭吉にしろ」と揶揄されることもあったが、それだとあまりに将来が不安のため却下。
心の中の神主が「出でよ!ボーナス!!」と大幣を振りまくる毎日だった。(ボーナス出ました)

そして8月。晧(あきら)が家にやってきた。

——————–
3月1週目現在
片づけはまだ残っているものの、解体祭を前に家関係の神様、京都の城南宮にお参りし、各種お札一式とご祈祷を拝受。2ケタ年ぶりに訪れた京都。深夜高速バスの進化や、特に晴明神社の変わりようにビックリ。
やはり2ケタ年ぶりに会った友人と旧交を温めることもでき、久しぶりの旅行を楽しんできました。

jonang1

城南宮 工事(新築・大規模な増築)の守り札。ご利益を期待しています。

jonang2

城南宮は梅の季節真っ盛り。「梅が枝神楽」を受け、梅の花守も頂いてきました。庭園のしだれ梅が大変に見事でした。

 

著者:飯田香

ご縁は待ったなし

セミナー三昧な日々を送り、週一で父のところにも顔を出し、仕事もし、市のスポーツ推進員(ボランティア)にもなってしまい、トラブルなんかもあり、なかなかに忙しい日々を送っていた6月のある真夜中。
どこからか、かすかに「ニーニー」と声がする。好に「猫の声?」と聞いてみるが、特に目立った反応なし。
翌日は仕事で20時過ぎに帰宅し、気になって懐中電灯を持って近所を捜索開始。すると、近所の家の物置の下から声がする。偶然、声がする家の人が外に出てきたので、事情を聴くと、ずっと鳴きっぱなしでどうしたらいいか判らないと言う。私には当時、保護の経験はなかったが、さすがに放っておくわけにもいかず、その場で保護を申し出て、敷地に入る許可をもらい物置の下を見ると、白い小さいのが鳴いている。産まれたてで胎盤つけたままで、ついでに瀕死。家に連れて帰り、獣医に電話をかけまくる。21時頃だったこともあり、結局どこもつながらず、好がお世話になっているN病院の留守電アナウンスでガイドされていた、川口の緊急病院へ電話。何しろ赤ん坊が瀕死。一刻を争う中で何をすべきか→温めるように病院から指示があったので、ゆたぽんチンして箱に入れて、タオル敷いて、小さいの乗っけて、車を飛ばす。

※ゆたぽん:レンジで温めるタイプの湯たんぽ。

病院へ到着後、獣医さんに問われる。「子猫を保護する人はとても多い。しかし助けるにはお金がかかる。10万円超えるケースもある。それでもあなたは助けるか?あとこの子は初乳を飲んでいるか?」
このセリフに、獣医さんもずいぶん理不尽な苦労をしてきたのだと察することはできるが、さすがにここまで来て後には引けない。こういう時のためのクレジットカード。回答→お金は判ったから助けて下さい、初乳は判りません。 獣医さんの回答は「全力を尽くします」だった。
酸素室で点滴つけて、夜中の1時まで様子見。一度帰宅し、朝になったら普通の病院に搬送するようにとのことなので、午前休をとって、N病院へ。
※午前休は部長に理解によりスムーズに取得(嘘ついてもバレるので、正直に報告)

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N 病院に搬送したての晧。目も開いてなく、先生も生後3日内の保護はあまりないと言っていた(しかしその後、同じような事例が何件かあったらしい)

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生まれつきしっぽなし。当時流行った「ハムケツ」っぽくて、可愛かった。チビとつけるともれなく大きくなるというジンクスから幼名は「ハムケツ・チビスケ」

N病院では2時間おきにミルク、温度管理も大切で目の離せない状態と診断。そして私はフルタイムの会社員。先生「僕、(お世話)やりますけどね!」と言って下さったので、そのまま入院すること約2カ月。口蓋裂傷があり、なかなかミルクを飲めずに成長が遅れる、さらに便秘等もあり、一時は皆が心配したが、そこは病院。「ベストをつくそう」を合言葉に、先生は夜、自宅に連れ帰って家族ぐるみでお世話、さらに看護師さんにも可愛がられ、結果、すくすくと育つ。保護猫活動をしている従姉妹に相談すると「先生を安心させるためにも、出来るだけ会いに行け」ということなので、なるべく時間を割いてお見舞いに行く。そうこうしているうちに当然情が移り、あっという間に手放せなくなる。そしてかかる結構な金額。事情を知る人に「名前を諭吉にしろ」と揶揄されることもあったが、それだとあまりに将来が不安のため却下。
心の中の神主が「出でよ!ボーナス!!」と大幣を振りまくる毎日だった。(ボーナス出ました)

そして8月。晧(あきら)が家にやってきた。

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3月1週目現在
片づけはまだ残っているものの、解体祭を前に家関係の神様、京都の城南宮にお参りし、各種お札一式とご祈祷を拝受。2ケタ年ぶりに訪れた京都。深夜高速バスの進化や、特に晴明神社の変わりようにビックリ。
やはり2ケタ年ぶりに会った友人と旧交を温めることもでき、久しぶりの旅行を楽しんできました。

jonang1

城南宮 工事(新築・大規模な増築)の守り札。ご利益を期待しています。

jonang2

城南宮は梅の季節真っ盛り。「梅が枝神楽」を受け、梅の花守も頂いてきました。庭園のしだれ梅が大変に見事でした。

 

著者:飯田香