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猫と夕焼け 猫という現象  - マンション騒動記⑦ -

第7回 猫と夕焼け

今日はN大板橋病院に行って近江さんのご主人から管理組合についての話を聞く日だ。
行き方は昨日奥さんに電話して聞いておいた。
池袋の西口からN大板橋病院行きのバスに乗って行くのである。
真左子は西武線で高田馬場まで行き、JRに乗り換えて池袋で降りた。
エスカレーターで東武デパートの地下に降りてバームクーヘンを買った。食べやすくカットしてあるものにした。

西口を出るとバス停はすぐ分かった。芸術劇場のすぐ近くである。
5分ほど待つとバスは来た。
真左子は最後列から三番目の席の窓側に座った。
窓から池袋の雑然とした街を眺めた。昼間はもちろん安全だろうけど夜になるとこの辺りはどうなるのだろうか、漠然とそんなことを思った。
バスは途中、K町を通った。K町は二田さんがボランティアをやっている町だ。真左子は窓から目を凝らして猫の姿を探した。バス通りに通じる何本かの脇道に猫の姿は見えなかった。少し安心した。
こんな大通りに近い所に猫がいたら多くは交通事故で死んでしまうだろう。交通量の多い所ではリリースできない。
猫は危ない場所をちゃんと熟知しているから大丈夫だと言う人もいる。しかし真左子はそんな意見に賛成できない。
以前、真左子の住む町でもボランティアが大通りに近い住宅街で猫を8匹捕獲したことがあった。不妊去勢後、反対意見もあったが元の場所にリリースした。しかし、その後2年たらずの間に交通事故でほぼ全滅してしまった。

15分ほどでバスはN大板橋病院に着いた。
病院の敷地中にバス停があった。大きな病院である。
ロビー内に入ると様々な人達がひっきりなしに行き来していた。病院スタッフ、見舞客、重そうなバッグを抱えた製薬会社の営業らしき若い男、車椅子の入院患者。点滴のハンガーを引っ張りながら歩いている入院患者もいた。歩きながら点滴をすることができるのだろうか? ふとそんなことを考えた。
真左子はエレベーターに乗った。
奥行の深い大きなエレベーター。普通のエレベーターの4倍の広さはあるだろう。とてもゆっくりとした速度で登っていく。エレベーター内には白衣を着た男女1
人ずつの病院スタッフが乗っていた。
エレベーターを降り近江さんのご主人の病室へ向かう。
廊下では既に夕食の配膳の準備が始まっていた。病院の夕食時間は早い。
キャスターの付いたプラスチック製の棚に各人用の夕食のトレイがセットされていた。
603号室の入口に小さなホワイトボードがあり入室患者の名前が書いてあった。6名の名前の中に「近江武志」の名前もあった。
真左子は病室に入って行った。
一番奥まで歩き右側のブースを見るとベッドの上にご主人が寝ていた。両手を
頭の後ろに組んでぼんやりと天井を眺めていた。
ご主人は真左子の顔を見るなりヒョイと上半身を起こして元気そうな声で言った。
「ご苦労さん」
とても病人とは思えなかった。
真左子は『ご苦労さん』という言葉に違和感を感じた。まるで自分がご主人の部下として働いているかのようだ。しかし気にしないことにした。
真左子は簡単に自己紹介をして、「これ召し上がってください」と言って買ってきた菓子の紙袋をご主人に差し出した。
「おー、ありがとねー」
ご主人は嬉しそうに紙袋をベッドの脇の小さい冷蔵庫の上に置いた。
奥さんより若く見える。目がぱっちりして愛嬌のある感じだ。少しおっちょこちょいなタイプなのかもしれない。奥さんがしっかり者に見えたのとは対照的だ。
ご主人はベッドの上であぐらをかき、真左子はベッドの脇の小さい赤いスツールに腰かけた。
「また大竹が何か動き出してるんだって? サヨコから聞いたよ」
ご主人は興味津々といった感じで目をクリクリさせて言った。
「はい。猫への餌やりの禁止と損害賠償の裁判を起こされたんです」
「今度は吉崎さんがターゲットになったってわけか」
ご主人はそう言ってアッハッハッと愉快そうに笑った。
真左子は笑えなかった。
「・・・それで理事長の大竹さんという人がどういう人なのか教えていただきたいと思いまして」
「あの人は理事長なんかじゃないんだよ。勝ってにそう言ってるだけだよ。」
ご主人は少し真面目な顔になった。
「臨時管理組合総会というのを勝手に開いて、そこで理事長になったって言ってるんだ。だから大竹は理事長じゃないということをまずはっきりさせるべきだと思うよ」
「・・・・・・」
ご主人は人差し指で頬をポリポリと掻いた。
「なんでウチのマンションが大竹に滅茶苦茶にされたか分かる? だいたい管理組合にみんな興味がないだろう?」
「はい」
「理事になってくれ、なんて言ってもみんな嫌がる」
「そうですね。大変そうだし、それに自分の仕事も忙しいから理事会とかに出席する時間もないですよね」
「そう。人まかせなんだよ。自分は関わりたくない」
「確かに」
「そこなんだよね、大竹が目を付けたのは。管理組合のことは皆関心がないから自分が理事長になって管理組合の金を好きなように使おうって。大竹はそう考えてるんだよ。10年位前に屋上の防水工事をやったよね。8階の舟田さんとこの工務店が請け負ったんだけど、あれだって相見積もりも何にも取ってない。随分高い値段で請け負ったんじゃないかな。儲けは舟田さんと大竹で山分けにしてるはずだよ」
ご主人は真左子の顔を見て反応を窺っているようだった。
「だいたいウチのマンションだって全部で84戸あるんだから修繕積立金と管理費で毎月150万円くらいの金が管理組合に入ってくるんだよ。年月が経てばそれこそ何千万円という金になるんだ。大竹はそれを、まあ言葉は悪いけど、くすねちゃおうと企んでると思うんだ。この辺で大竹を止めておかないと、管理組合の金はスッカラカンになるよ」
「・・・・・・だけど私に何ができるんでしょうか?」
「ほら、そうやって人ごとみたいに。吉崎さん、訴えられたんでしょ? だったら戦って管理組合を正常な形に取り戻さないと」
「戦うって、どうやって戦えばいいんですか?」
「うん、それは僕より紙野さんていう人が詳しい。これまでさんざんやってきたからさ。僕が理事長やってたときに副理事長やってた人だよ。奥さんの実家のお父さんが亡くなって、実家の方に引っ越したんだ。今はウチのマンションには住んでない」
ご主人は冷蔵庫の上の置いてあった小さな紙切れを真左子に渡した。
そこには「紙野栄三」という名前と住所、携帯番号が書いてあった。
「とにかく紙野さんにいろいろ相談してみるといいと思うよ。吉崎さんのことは話しといたから電話すればすぐ分かるよ」

紙切れに目を落としている真左子にご主人は言った。
「もう戦うしかないな、大竹と。応援するよ」

病室の窓から街が見えた。低いビルや民家が密集している。街は夕焼けで赤く染まっていた。

(続く)


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