第2回 謎の多い動機

 

とにかく何で管理組合がこんな裁判を起こしてきたのか分からない。

「猫トラブルなんてないわよ」多津子は言った。

「最近、猫のウンチやゲロなんかマンション内で見たことないもん」

 

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第2回 謎の多い動機

 

とにかく何で管理組合がこんな裁判を起こしてきたのか分からない。

「猫トラブルなんてないわよ」多津子は言った。

「最近、猫のウンチやゲロなんかマンション内で見たことないもん」

 

 

K駅近くのビルの2階のルノアール。マンション内で会っているところを管理組合の大竹に見られたくないので、喫茶店で会うことにしたのだ。

真左子と多津子は喫煙席を選んだ。

真左子はブレンドコーヒー、多津子は宇治抹茶ミルクを注文した。

 

「だいたい証拠はあるの?」

多津子は吸い終わったタバコを灰皿に押し付けながら言った。

「証拠?」

「証拠よ。裁判起こされたんでしょ。裁判を起こす方は証拠を出すもんなのよ」

 

多津子は数年前、父の遺産相続のゴタゴタで親族と裁判で揉めた経験があったので、裁判には詳しい。

真左子は裁判所から送られてきた書類を一つ一つ見てみた。

確かに、マンション内に猫のウンチやゲロが落ちている証拠書類はなかった。

 

「ウンチやゲロがあったなら絶対写真に撮っているはずよ。それもないんでしょ?」

多津子は言った。

 

真佐子は1枚の書類に目が留まった。「陳述書」というタイトルの書類だ。パソコンで書かれた計2枚の文書で、1枚目の上部に「永山ハマイ」というサインと印鑑が押されていた。永山ハマイはマンションのお掃除のおばちゃんだ。廊下で会えば世間話をしたりする気さくな性格のおばちゃんである。腰痛持ちで、よくモップを壁に立てかけて、背伸びをして腰をさすっている光景を目にする。

 

その「陳述書」には、平成18年頃から、当マンションでは猫の糞尿、吐瀉物、鳴き声、飛散する毛などに対する住民の苦情が絶えず、その原因は野良猫に餌を与える真左子にあります、と書いてあった。そして最後に「裁判所におかれましては是非とも吉崎真左子氏に対して野良猫への餌やりを禁止して下さるようお願いします」と結んであった。

 

「何よこれ!」真左子と多津子はほぼ同時に叫んだ。

永山ハマイがこんな文書を書くはずはない。

廊下で会えば必ず立ち話をする仲だ。それにこれまで猫の糞尿や吐瀉物が落ちていたなんて話を聞いたこともない。

 

無理やり書かされたのか? その可能性は否定できない。

永山ハマイもマンション管理会社から雇われている身だ。管理会社からサインしろと言われればサインするかもしれない。

 

いずれにせよ、今度廊下で会ったら永山ハマイにこの「陳述書」のことを聞いてみよう、真左子はそう思った。

 

「だいたいこの裁判を起こすように理事長の大竹をそそのかしたのは8階の舟田さんの奥さんだと思うわ。猫嫌いで有名なんだから。以前エントランスに猫がいたとき、『猫を見ただけで蕁麻疹が出てきそう』って言ってそそくさと走って逃げていったのよ」多津子は言った。

「だけど何で理事長の大竹は、舟田さんの奥さんに言われたからって、裁判まで起こすの?」

「つながってるのよ。大竹と舟田さんの奥さんとは。舟田さんの奥さんも管理組合の理事になっているし」

「なんでつながってるの?」

「それは分からないわ」多津子は新しいタバコに火を付けながら言った。

「とにかく大竹が理事長になってから、いろいろ変なことが起きているのよ」

多津子の話はこうだった。平成17年に屋上の防水工事が行われたとき、その工事を請け負ったのが舟田の夫が経営する舟田設備工事だったのだ。なぜ舟田設備工事が請け負うことになったのか、相見積を取るなど、他社との比較はしたのかについては不明で、その当時、発注の経緯について、マンション管理組合の総会でも問題になった。しかし、大竹は問題なしの一点張りで通し、結局舟田設備工事が受注することになったというのだ。

 

この他にも大竹に関しては数々の疑惑があり、自分が理事長に就任したのも、勝手に臨時管理組合総会開催通知を住民に配布し、開催した臨時総会で理事長に就任したこともそうだ。この件については当時、疑問に思った住民の一人が弁護士に相談したところ、その臨時総会は無効であり、大竹は法的には理事長ではない、との回答があった。

さらに大竹は、理事長に就任するなり、これまでの管理会社であったゼネコン系のマンション管理会社から、名前も聞いたことのない得体のしれない管理会社に変更したのである。とにかく、大竹に関する疑惑は数限りない。要するに大竹は、マンション管理組合を私物化しているらしいのだ。

 

「絶対裏に何かあるわね」真左子はそう呟いた。

窓の外に目をやると、もうすっかり夕闇に包まれていて、その中でタクシーの灯だけが行きかっていた。

                       (続く)