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“猫嫌い”高峰秀子が愛した猫

2年ほど前、ある古書市でのこと。ひとりの女性が当店のワゴンに近づいてきた。

「あのぉ、ママ猫の古本やさんということは…猫の飼い方についての本、あります?」

はい、ありますよと何冊か取りだして渡したところ、その女性は「最近、猫を飼い始めた」といって話し始めた。

なんでも、そのつい2週間ほど前に、ご主人と出かけた帰り道、雨に濡れ、震えながら小さな声で鳴いている子猫を見つけたのだという。このご夫婦はずっと長いこと犬を飼っていたのだが、半年ほど前に愛犬を亡くしたばかりだった…。

「私も夫も猫は好きじゃなかったの。でも、このまま放っておいたら死んでしまう」と思い、手をのばして子猫を拾い上げ、家に連れて帰ったそうだ。

ご夫婦の献身的なケアのおかげで子猫は一命をとりとめ、日に日に元気になり、やんちゃになってきたそうで、「それがもう、かわいくて、かわいくて! しかも、おりこうなのよー」「猫ってこんなにかわいいものだったのねって、夫とも話しているの。あ、写真あるわよ、見る? ……ね、かわいいでしょーー♡♡」と、メロメロの顔でいろいろ話してくれた。

ちょっと前までは、猫が嫌いで、断然、犬のほうがいい!という考えの人だったとは思えないほどの、猫っかわいがりぶりに……「ん? なんだか状況が似ているなぁ」と思い出し、ワゴンから取り出したのが『高峰秀子 暮しの流儀』。

『高峰秀子 暮しの流儀』著:高峰秀子/松山善三/斎藤明美 初版:2012年1月25日 新潮社

高峰秀子も猫が好きではなく、家では犬を飼っていたのだが、晩年、亡くなる直前の約3カ月間、たまたま猫を飼うことになり、「あの、秀子さんが?」と周囲が信じられないほど溺愛したという話が、本の一番最後の数ページに載っているのだ。

『高峰秀子 暮しの流儀』より

著者は斎藤明美さん。もとは週刊誌の記者だった斎藤さんは取材が縁で高峰夫妻と懇意になり、その後、養女に迎えられた方だ。高峰秀子のエッセイや愛用品、未公開写真、日記などをもとに何冊か本をまとめられており、これはそのうちの1冊。「大女優・高峰秀子」ではなく、「家庭人としての高峰秀子」の「暮らしの流儀」を、秘蔵写真や衣食住にかかわる日用品、身近に置いて慈しんだ宝物などを通して綴っている。

《衣 飾らない》《食 偏らない》《住 背伸びしない》

目次を見ただけでも、高峰秀子が大事にしてきた生き方の一端が見えるようである。

『高峰秀子 暮しの流儀』より。ご主人(松山善三)曰く、「彼女の趣味は家事」。針仕事も得意だったそうだ。

『高峰秀子 暮しの流儀』より。女優業をしながらも、3度の食事は必ず作っていた。亡くなる前、入院したときも斎藤さんに「台所にかぼちゃが支度してあるから」と言ったそう。

ご主人の髪を切るのは高峰秀子の役目だった。傍らには飼っていた犬が。

さて、猫、である。

本書によれば、高峰秀子は大の猫嫌い。

家の庭にはのら猫がやってくることもあり、養女の斎藤さんが、時折、水などをあげていたらしいが、高峰秀子は、「猫は嫌い。気味が悪いから」とか「餌なんかやっちゃダメよ」などと言ってクギをさしていた。

ところが、1匹のメス猫のおなかが大きくなってきた。それを斎藤さんが高峰秀子に告げると、ぴしゃりとこう言い放ったというのだ。

「知りませんよ。餌をやったあんたの責任です。生まれたらどこかへ捨ててきなさい。段ボール箱にでも入れて」

「猫はどんどん子供を産みますよ。ほっといたら、うちは猫屋敷になっちゃいますよ」

 

えぇ~! あんなに可憐な顔で、こんなこと言うんだ…よほど猫が嫌いだったのね…。

 

そのうち、猫は子猫を産む。子猫の声がどこかから聞こえてくる。斎藤さんは「子猫が産まれたみたい…」と告げるが、高峰秀子は興味ないといった声で「そう」と言ったきりだったという。

ある日、ようやく子猫の姿を見つけた斎藤さんは、思わず小さな子猫を両手で握りしめ、高峰秀子のところに走ったそうだ。そして、「ほら!」と差し出した。はたして……

 

「アラ~ッ!」

 

高峰秀子は目をまんまるくして、「早くこっちへ」「ここに置いて」と言ったそうだ。

驚いたのは斎藤さんだった。

さっきまで地べたに転がっていた子猫である。《きれい好きの高峰の言葉とも思えない》と斎藤さんは書いているが、そんなことお構いなしという感じで、子猫を食卓の上に乗せ、子猫の頭を撫でては「眼はちゃんと見えてるのね」とか「ホラホラ、そっち行ったら危ないよ」などと世話を焼き始めたというのだ。

 

「猫は大嫌い」と公言していた高峰秀子の変わりようと言ったら!

食卓の上で遊ばせるわ、自分の膝で寝かせるわ…。

ある日には、食卓で子猫がおしっこをしてしまった。さぞかし怒ったことか…と思ったら、「きれいに拭いたから大丈夫」と平気な顔で言ったそうだ。

名前は「ノラ」と「タマ」。もちろん、高峰秀子が名付けた。

また、自分が気に入って取りよせていたパンケーキを、自分の箸でじかに子猫に食べさせることもあったという。

『高峰秀子 暮しの流儀』より。

……いや、かわいいよ。2匹並んでテレビを見ているまあるい背中とか、寄り添って寝ているところとか…。写真を見ると、確かに、身もだえするほどかわいい!

私は猛烈な猫アレルギーで、猫が飼えないこともあり、「あぁ、私も飼いたーい。猫、触りたーい」とうらやましくて仕方がないが、でも、自分の箸でパンケーキを与えるって…。「洗面所には髪の毛1本落ちていなかった」というほどの“きれい好き”な人が??

これはもう、メロメロ、溺愛、ですね(笑)。

 

《毎日、毎日、高峰は子猫達に自分の箸でパンケーキを食べさせ、抱っこして、撫でて、その遊ぶ様に目を細めた。三か月間。病院に入る日まで》

 

高峰秀子が亡くなったのは2010年12月のこと。とすれば、ノラとタマは今、5歳ちょっとか。

本書の最後に掲載されている、この猫たちの話。斎藤さんはこんなふうに締めくくっている。

 

《「幸せだね、お前達は。こんな所に住まわせてもらって……」

私は大きくなったノラとタマに語りかける。

「かあちゃんの恩を忘れちゃいけないよ」

それは、私自身に語りかけている言葉だった。》

 

さて話は戻るが、冒頭でご紹介した女性が飼っていた猫も、高峰秀子が愛した猫たちと同じ「キジトラ」柄だった。犬派から猫派になったこともあって、「なんだかウチと似ているわねぇ」と、妙に親近感を覚えたらしい。『高峰秀子 暮しの流儀』も買って帰ってくださった。

こっちのキジトラちゃんは、今、2歳か。私が見た写真よりもずーっと大きくなって、かわいがってもらっているんだろうなぁ。


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