私の作品の中で猫が6匹、輪になって踊っているモチーフがあります。
このモチーフは『KIZUNYA』(キズニャ)という名前が付いて、2011年に誕生しました。
2011年3月11日。私は知人と会うため都内の吉祥寺に出かけた際、震災に見舞われました。電車が止まり、自宅がある相模原に帰ることができずに知人と二人で右往左往…。なんとか三鷹に住んでいた伯母のところへ辿り着き、余震が続く中、不安な一夜を過ごしました。一方、自宅では夫が2匹の猫たちと停電で真っ暗の中、懐中電灯一つで身を寄せ合っていたそうです。
次の日、運転を再開した電車に乗ることができ、相模原の自宅へ戻りましたが、部屋と工房は写真のような有様。その後暫く計画停電が続き、制作をするどころではなくなってしまいました。当時、新宿で広告のアルバイトをしていたのですが、それも震災後にパッタリ仕事がなくなりました。
ニュースでは毎日被災地の悲惨な様子が写し出され、「自分は何もしなくていいのか」と、自問自答するようになりました。
そんな時、ニュースでペットたちのシェルターのことを知りました。被災地で飼い主と離れ、行き場を失ったペットたちの保護活動をしている個人や団体がいたのです。それを見て、いてもたってもいられず、たまたま近所にできたシェルターに、夫とペットフードを届けに行くことにしました。シェルターには次から次へと被災地から預かってきた犬猫が運びこまれ、側にはその日の早朝に息絶えた子が横たわっていました。まるで戦場のようで、とても手が足りない状況でした。
以来、毎週休みの度に夫婦でシェルターに出向き、最終的に80匹程の預かりネコのお世話をしました。
被災地から来る猫の多くは避妊去勢をしておらず、また外猫が多かったので、シェルターでは出産ラッシュでした。慣れないシェルターでの生活で体調崩す子や皮膚病の子、白血病やエイズキャリアの子など、いろいろな子がいたのでお世話も大変。保護して間もない子の爪を切ろうとして手を噛まれ、感染症を起こしてしまうアクシデントもありました。手当の甲斐なく虹の橋を渡った子も何匹もいました。
当時を思い出すと彼らの顔と「ごはん、ごはん」と呼ぶ声や、虹の橋に行ってしまった子たちへの自責の念が蘇って胸が詰まります。
1年半程シェルターに通ったころ、愛猫に介護が必要となりました。その後シェルターの猫たちは飼い主さんの元へ戻ったり、新しい里親さんのところへ譲渡されたりして、シェルターはそこでの役目を果たし、場所を移転していきました。ボランティアに通う中で、ペットに対する考え方に地域差があることや、悲惨な状況を目の当たりにしたことで、避妊去勢の必要性を強く感じるようになり、作品制作への思いも変わりました。
そして震災から1年後の2012年3月1日〜3月11日に、谷中のギャラリー猫町さんで個展『ki・zu・nya』を開催しました。
被災地支援の活動記録
作品はシェルターでお世話をした猫たちや被災地にいる子たちをイメージして制作しました。
→2012年3月12日のブログ
その後、東日本大震災で被災した動物たちを追ったドキュメント映画『犬と猫と人間と2』を上映するための制作費を工房展『路地裏の猫屋』の売上から一部寄付し、宣伝応援団になりました。
→『犬と猫と人間と2』公式サイトの2013年5月28日の投稿
映画に登場した被災地の方々の現在について、監督が綴っています。
→『犬と猫と人間と2』公式サイトの2017年4月4日の投稿
当時被災地でTNR活動をしていた『アニマルレスキューシステム基金』への後方支援(2014年まで。現在は医療支援活動を継続中)
→アニマルレスキューシステム基金
2014年から現在までは、今も福島被災地に給餌活動をされている『清川しっぽ村』さんに
『キズニャチャリティー』で支援をさせていただいています。
清川しっぽ村ブログ
→2018年2月27日の投稿「給餌活動 2・24 / 2・25」
『キズニャチャリティー』は皆さまからの寄付作品や店舗さまから提供いただいた商品の売上からなるものです。少しずつですが支援の輪が広まっています。今後もただ作品をつくるだけでなく、メッセージを込めた作品を通じて、被災地のペット事情や同行避難の必要性、また生きものや自然に対する今の現状を知っていただけるきっかけになればと思っています。
今年の3月11日で東日本大震災から7年経ちます。
少しずつ復興へ進んでいる中、まだ被災地で支援を待っている犬猫たちがいます(※編集部注)。現地のボランティアにバトンを繋ぎながら、活動を続けている清川しっぽ村さんに今後も微力ですが『キズニャ活動』をして行こうと思っています。
2011年から続くチャリティアート展
そして今年も震災発生の年2011年から始まったチャリティ展が催されました。作家たちが提供した作品の売上全額を実効的な救護活動をされている団体へ寄付するものです。私は一回目から参加しています。今年も復興に向けて被災地に新しい便りと芽吹きがありますようにと、願いを込めて作品を提供させていただきました。
猫の手集めて復興支援!
『Cats aid 2018』*終了しました
■開催期間:2018年3月8日(木)〜3月11日(日)
■時間:11:00〜18:00
■会場:谷中・ギャラリー猫町
https://www.facebook.com/cat.aid
■住所:東京都台東区谷中2-6-24
■TEL:03-5815-2293
■アクセス:地下鉄千代田線千駄木駅団子坂下口下車徒歩6分、またはJR山手線日暮里駅下車徒歩10分
著者:白井光可
※編集部注:
元々野山で狩りをして自力で生きていた猫もいたため、現地に残る猫に関しては必ずしも人の手を必要としていない場合もあります。餌を置くことによって野生動物が里へ降りてきて、交通事故に遭ったり、駆除の対象となったり、ネズミなどの増殖に加担しているケースも見られます。正解は見えづらく、非常に難しい問題です。そのため、活動は個人の思想や価値観であり、その支援も同様と編集部では考えます(編集部でも2011年4月1日から2年、被災者の依頼の元、現地で捜索保護を行っていました)。
私の作品の中で猫が6匹、輪になって踊っているモチーフがあります。
このモチーフは『KIZUNYA』(キズニャ)という名前が付いて、2011年に誕生しました。
2011年3月11日。私は知人と会うため都内の吉祥寺に出かけた際、震災に見舞われました。電車が止まり、自宅がある相模原に帰ることができずに知人と二人で右往左往…。なんとか三鷹に住んでいた伯母のところへ辿り着き、余震が続く中、不安な一夜を過ごしました。一方、自宅では夫が2匹の猫たちと停電で真っ暗の中、懐中電灯一つで身を寄せ合っていたそうです。
次の日、運転を再開した電車に乗ることができ、相模原の自宅へ戻りましたが、部屋と工房は写真のような有様。その後暫く計画停電が続き、制作をするどころではなくなってしまいました。当時、新宿で広告のアルバイトをしていたのですが、それも震災後にパッタリ仕事がなくなりました。
ニュースでは毎日被災地の悲惨な様子が写し出され、「自分は何もしなくていいのか」と、自問自答するようになりました。
そんな時、ニュースでペットたちのシェルターのことを知りました。被災地で飼い主と離れ、行き場を失ったペットたちの保護活動をしている個人や団体がいたのです。それを見て、いてもたってもいられず、たまたま近所にできたシェルターに、夫とペットフードを届けに行くことにしました。シェルターには次から次へと被災地から預かってきた犬猫が運びこまれ、側にはその日の早朝に息絶えた子が横たわっていました。まるで戦場のようで、とても手が足りない状況でした。
以来、毎週休みの度に夫婦でシェルターに出向き、最終的に80匹程の預かりネコのお世話をしました。
被災地から来る猫の多くは避妊去勢をしておらず、また外猫が多かったので、シェルターでは出産ラッシュでした。慣れないシェルターでの生活で体調崩す子や皮膚病の子、白血病やエイズキャリアの子など、いろいろな子がいたのでお世話も大変。保護して間もない子の爪を切ろうとして手を噛まれ、感染症を起こしてしまうアクシデントもありました。手当の甲斐なく虹の橋を渡った子も何匹もいました。
当時を思い出すと彼らの顔と「ごはん、ごはん」と呼ぶ声や、虹の橋に行ってしまった子たちへの自責の念が蘇って胸が詰まります。
1年半程シェルターに通ったころ、愛猫に介護が必要となりました。その後シェルターの猫たちは飼い主さんの元へ戻ったり、新しい里親さんのところへ譲渡されたりして、シェルターはそこでの役目を果たし、場所を移転していきました。ボランティアに通う中で、ペットに対する考え方に地域差があることや、悲惨な状況を目の当たりにしたことで、避妊去勢の必要性を強く感じるようになり、作品制作への思いも変わりました。
そして震災から1年後の2012年3月1日〜3月11日に、谷中のギャラリー猫町さんで個展『ki・zu・nya』を開催しました。
被災地支援の活動記録
作品はシェルターでお世話をした猫たちや被災地にいる子たちをイメージして制作しました。
→2012年3月12日のブログ
その後、東日本大震災で被災した動物たちを追ったドキュメント映画『犬と猫と人間と2』を上映するための制作費を工房展『路地裏の猫屋』の売上から一部寄付し、宣伝応援団になりました。
→『犬と猫と人間と2』公式サイトの2013年5月28日の投稿
映画に登場した被災地の方々の現在について、監督が綴っています。
→『犬と猫と人間と2』公式サイトの2017年4月4日の投稿
当時被災地でTNR活動をしていた『アニマルレスキューシステム基金』への後方支援(2014年まで。現在は医療支援活動を継続中)
→アニマルレスキューシステム基金
2014年から現在までは、今も福島被災地に給餌活動をされている『清川しっぽ村』さんに
『キズニャチャリティー』で支援をさせていただいています。
清川しっぽ村ブログ
→2018年2月27日の投稿「給餌活動 2・24 / 2・25」
『キズニャチャリティー』は皆さまからの寄付作品や店舗さまから提供いただいた商品の売上からなるものです。少しずつですが支援の輪が広まっています。今後もただ作品をつくるだけでなく、メッセージを込めた作品を通じて、被災地のペット事情や同行避難の必要性、また生きものや自然に対する今の現状を知っていただけるきっかけになればと思っています。
今年の3月11日で東日本大震災から7年経ちます。
少しずつ復興へ進んでいる中、まだ被災地で支援を待っている犬猫たちがいます(※編集部注)。現地のボランティアにバトンを繋ぎながら、活動を続けている清川しっぽ村さんに今後も微力ですが『キズニャ活動』をして行こうと思っています。
2011年から続くチャリティアート展
そして今年も震災発生の年2011年から始まったチャリティ展が催されました。作家たちが提供した作品の売上全額を実効的な救護活動をされている団体へ寄付するものです。私は一回目から参加しています。今年も復興に向けて被災地に新しい便りと芽吹きがありますようにと、願いを込めて作品を提供させていただきました。
猫の手集めて復興支援!
『Cats aid 2018』*終了しました
■開催期間:2018年3月8日(木)〜3月11日(日)
■時間:11:00〜18:00
■会場:谷中・ギャラリー猫町
https://www.facebook.com/cat.aid
■住所:東京都台東区谷中2-6-24
■TEL:03-5815-2293
■アクセス:地下鉄千代田線千駄木駅団子坂下口下車徒歩6分、またはJR山手線日暮里駅下車徒歩10分
著者:白井光可
※編集部注:
元々野山で狩りをして自力で生きていた猫もいたため、現地に残る猫に関しては必ずしも人の手を必要としていない場合もあります。餌を置くことによって野生動物が里へ降りてきて、交通事故に遭ったり、駆除の対象となったり、ネズミなどの増殖に加担しているケースも見られます。正解は見えづらく、非常に難しい問題です。そのため、活動は個人の思想や価値観であり、その支援も同様と編集部では考えます(編集部でも2011年4月1日から2年、被災者の依頼の元、現地で捜索保護を行っていました)。