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“猫の画家”藤田嗣治が「犬も大好き」でいいじゃない!

この日の朝、新聞を読んでいて、パッと目に入ってきた、このタイトル。

《「猫の画家」藤田 犬も大好き/寄稿や手紙発見》。

 

 

猫の画家としても知られる洋画家、藤田嗣治(1886~1968)。

ふうん、犬も好きだったんだ。実際、犬も描いているしね。むしろ、「犬も大好き」という見出しで記事にするようなこと?…などと、少し斜めに見ながら、記事を読んでいくと、「犬は非常に好きだ」などと挿絵つきで雑誌に寄稿したものや、知人からもらった犬を返す際、犬の無事を祈って知人に書いた手紙などが見つかった、と。《巨匠の知られざる一面をうかがわせる貴重な資料》だとされているのだが、新聞に引用されている文章だけでは、そのあたりがよくわからない。

手紙は、秋田にある平野政吉美術財団で見つかったとのことで、さすがに秋田に行くことはできないので、とりあえずは、藤田が寄稿したという雑誌記事を読んでみたい…と思い、先日、この雑誌が所蔵されている東京農工大学の図書館に伺い、閲覧させていただいた。

 

藤田が寄稿したのは、昭和10年2月1日発行の『犬の研究』という犬の専門誌(既に廃刊)。タイトルは【フランス人と犬】である。

 

『犬の研究』犬の研究社刊/昭和10年2月1日発行より

 

昭和10年(1935)というと、十数年のフランス生活のあと、ブラジルやメキシコなどの旅を経て、日本に帰ってきていた時期。サブタイトルが【日本人はまだ犬の愛し方が足りない】となっているところから想像するに、日本での犬の扱われ方はひどいと感じ、「ここはひとつ、フランスで犬がどれだけ大事にされているかを知っている私が忠告しなければ」と思ったのかもしれない。

 

たとえば、フランス人は犬を連れてよく散歩をするが、日本では犬を連れて歩く所がない、公園はあるが、そこに行くまでの往来が混み合っていて大変だ。犬を連れては歩けないと言ってよいだろう、というような話からはじまり、なるほどそうか、藤田は日本人の犬の飼い方で、こういうところが気になったのだなと思ったのが、次に引用する、この話。

《犬は人間でも喰べられる食物をやらねばならぬ。棄てる様な残り物をあてがひ、その上慾張って番でもさせようと考へてる蟲のいい人もあるが、こんな考へではいけない。二、三十坪の空地に金網を張って、犬の運動場にしてゐるような人は彼地(*フランスのこと?)ではよく見受けるが、この位にしてやつて貰ひたいものである。……中略……とにかく、一般に日本人は犬の愛し方が足りないと思ふ》

 

残り物をえさにして、しかも番犬にするなんて、とんでもない!というわけだ。

 

また、人間社会での弱い者いじめを例にとり、中途半端に強い者が弱い者をいじめるのだという話に触れ、《この関係が犬對人間の間にも現はれて、小學生など、兎もすると犬を苛めて、可愛がることを知らぬ》と苦言を呈している。

 

『犬の研究』に藤田が描いた犬の挿絵

 

あるいは、子どもに物をあげてご機嫌をとろうとする者があるが、そういうものではない。大事なのは愛、西洋の子どものほしがるものは愛である…とした上で、《犬でも出發は此処になければならない》《日本の愛犬家には、愛より自慢や競争意識で犬を飼ふ者が少なくない》と嘆く。

 

フランスには犬のための墓地もあった。広い墓地に石碑がずらりと並んでいて、愛犬を亡くした人がお参りするのを見て、《一生の友達でもあり、子供でもあり、又愛人でもある愛犬が静かに眠る墓、その墓にかしづいて、生前慰められた愛犬の霊を弔ふのは美しい》と感じていたようだ。

 

人も犬も同じである。下に見てはいけない。愛情をもって育て、清潔なところで、きちんとした食事を与え、最後まできちんとめんどうをみなさい!と、訴えたかったのだろうか。

そして、

《私も犬は非常に好きだ。それだけに犬の死を考へると淋しくてならぬ。普段仕事が忙しくて充分犬の世話を焼けぬ私は、殺すまいとして飼う氣になれないのである》。

 

ん? じゃ、猫は?

 

(左)『芸術新潮』2006年4月号/(右)『藤田嗣治「異邦人」の生涯』近藤史人著・講談社文庫・2006年5月12日第3刷

 

『藤田嗣治「異邦人」の生涯』等によると、藤田が猫を飼うようになったのは、パリに住んでいた1918年(大正7)11月、3回目の個展開催中のこと。まだまだ貧しいアパート暮らしの身ではあったが、少しずつ絵が売れ始めていた時期だ。モンパルナスのカフェで画家仲間と大騒ぎをして、家に帰る途中、壁際で子猫が背を丸めて鳴いているのを見かけ、アパートに連れて帰ったのが始まりだという。以来、藤田は猫を飼い続け、モデルがいない時にはいつも猫を描くようになった。

 

『芸術新潮』2006年4月号より/パリのアトリエで描かれた自画像。1926年の作品。

 

やがて才能が認められ、絵が高値で売れるようになって、1927年(昭和2)にはテラス付きの新築に引っ越した。この時には10匹以上の猫が飼われていたそうだ。

 

藤田の自画像には傍らに猫がいることが多い。

1929年(昭和4)9月、17年ぶりに帰国した際も猫を飼っていた。フランスから連れて帰ってきたのだろうか、それとも猫はフランスに残し、あらたに日本で飼い始めたのだろうか。

 

『芸術新潮』2006年4月号より/東京・四谷区左門町の家での純和風な生活ぶりを描いたもの。1936年の作品。おなかにもぐりこんだ猫のかわいいこと!

 

評伝を読むと、日本画壇とはいろいろあって、怒りを向けることもあった藤田だが、本来はとても繊細で、真面目で、誰にでも優しく、親身になって、心をつくして接する人物であったことがわかる。特に、画家仲間やモデル女性たちが病気になったり、お金に困っていたり、亡くなったりした時の藤田の献身ぶりは、読んでいて、胸が詰まるほど。

きっと、道端でおなかをすかせて鳴いている猫を放っておくことができず、次々と拾ってきてしまったのかもしれない。

 

ちなみに、今回参考にした本『藤田嗣治「異邦人」の生涯』の著者は、まだまだ藤田嗣治という人物について日本では語られることが少なかった頃、NHKスペシャルで藤田のことを取り上げたディレクター、近藤史人さんである。

取材先やあたった資料は膨大な量にのぼったが、特に重要だったのが、それまで沈黙を守り続けてきた奥様・藤田君代さんに取材ができたことだと思う。

 

その当時、君代さんはフランス国籍のまま、日本に戻り、都内のマンションで暮らしていたのだが、ひとり暮らしの君代さんが飼っていたのは猫ではなく、3匹の犬。

藤田と結婚し、波乱の人生を送った君代さんだが、人生の最後は、藤田が飼いたくても飼えなかった犬を飼い、藤田の思い出とともに、おだやかな日々を過ごされたことと思う。そして天国の藤田は、犬を大事にする君代さんを誇りに思い、「いいなぁ、本当は私も飼いたかったんだよ」とうらやましく思っていたことだろう…。

 

☆『犬の研究』の閲覧・複写に際し、東京農工大学図書館(東京都府中市)の方に大変お世話になりました。ありがとうございました。


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