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人気の猫島。背景には島民の苦難の歴史も

猫島本表紙 (500x418)

左『猫びより』2013年7月号/右『日本全国猫島めぐり~のんびり猫旅』南幅俊輔著/主婦と生活社

人気の猫島。船から人が降りると、わらわらと人懐っこく近寄ってきて、やがて人を案内するかのように歩きだす…テレビの猫島レポートの見すぎ?(笑)かもしれないが、ほのぼのとしてのどかな、そんなイメージ。

さて、昨年9月に発売された『猫はふしぎ』。哺乳動物学者・今泉忠明先生による猫の雑学本で、ここに猫島ができた背景に関する話が載っている。

『猫はふしぎ』今泉忠明著/イースト・プレス発行/2015年9月20日初版第1刷

猫島成立の背景と言っても、ネズミか何かを退治するために連れてこられて、その後、増えたのでは?と素人でも思いつくことなので、そこに驚きはないのだが、今泉先生が挙げている例が想像をはるかに超える壮絶なものだった。

『猫はふしぎ』より。

本書によれば、昭和24年(1949)、愛媛県宇和島市の戸島にドブネズミが大発生した。このことをテーマにした作家・吉村昭の『海の鼠』(1973、新潮社)は、動物学の界隈では名著としてよく知られているそうだ。

島はネズミにとって、海産物あり畑の作物もあり、さらに天敵も少ないという最高の生活環境だったようで、多い時にはなんと60万匹ものネズミが生息していたという記録が残っている。周囲約17kmという小さな島に60万匹!

今泉先生によれば、《この多さ、具体的には昼間でもあちこちをネズミが走り回っているのを目にするほどの数です》。

 

島の人たちはネズミを何とか駆除したいと、ネズミ取りの罠や薬剤に加えて、アオダイショウやイタチなど、ネズミの天敵となる動物を放つ。ところが、アオダイショウは獲物を飲み込むと1週間は消化のためにじっと体を休ませるので、60万匹ものネズミを退治するには効率が悪すぎ、なわばり意識の強いイタチは、小さな島のなかで同士討ち状態に陥り、自滅してしまったそうだ。

 

そして満を持して投入されたのが猫!

ところが……《彼らの仕事ぶりはというと、ほとんど狩りはせず、ぐうたら過ごしていたようです。浜には魚の加工品や干物が並べてあるので、苦労してドブネズミを追いまわす必要はなかったからでしょう》ということだったらしい。ネズミを捕るどころか、魚の加工品を失敬するとは……トホホ。

 

が、今泉先生はこう続けている。

《役立たずのレッテルが貼られてしまったかと思いきや…不思議なことにドブネズミは姿を消しました。天敵の脅威に恐れをなしたのでしょうか、漁師たちは、大群をなして海を泳ぎ、四国本土へ渡ろうとするドブネズミに出くわしたと言います。ドブネズミの遊泳距離はせいぜい300mだから、おそらく海の藻屑と消えたのでしょう》

『猫はふしぎ』より。

おぉ、そういうことか。

《島からドブネズミがいなくなってからはというと、アオダイショウはもともとあまり好まれないから姿をひそめ、イタチやフェレットは獲物がいなくなって消滅し、ネコは島の人に愛されエサをもらえたため残り、ネコ島が誕生しました》と、今泉先生は分析。

 

なるほど~とは思ったものの、動物学の世界で名著として知られているという『海の鼠』でもっと詳しく読んでみたくなり、探して入手してみた。

『海の鼠』吉村昭著/新潮社/昭和48年(1973)5月/表題小説の他に、映画化もされた「魚影の群れ」や、「蝸牛」「鵜」も収録

物語は、仲間の葬式の話から始まる。台風被害にあった漁師たちの葬式だ。

戦後、小さな島のなかで苦労して田畑を作り、漁に出て、生計をたててきた島民たち。毎年のように台風の被害もある。それでも、力強く生きてきた島民たちだったが、昭和24年にはじまったネズミの異常繁殖には完全にまいってしまったようだ。

考え得る、あらゆる手を講じたのに減らないネズミ。丹精込めた田畑も被害にあい続け、中には農業をやめてしまう者もあったという。

猛毒性の薬剤はネズミ駆除にも役だったが、同時に、野鳥や飼い犬、ネズミ駆除のために放たれた猫も犠牲になってしまい、自然環境も壊し始める……。

 

そうなった時、ネズミは大挙して海を渡って行ってしまったと、物語には書かれている。

ネズミとの戦いに疲れ果てた島の人が田畑を耕すのをやめ、魚を捕るのをやめてしまい、毒薬により野にいる小動物も減ってしまっては、ネズミにとっては“おいしくない”状況になってしまったのだ。ネズミの数に対して食べ物の量が減ってしまい、共食いを始めたことにより数が減ってきたという要因もあるらしい。

また、今泉先生の分析のように、たとえネズミを捕らない猫だとしても、猫がたくさんいる島というのは、ネズミにとっては居心地が悪かったということもあっただろう。

ともあれ、戸島をはじめとする宇和島の島々は発生から7年ほどたって、ようやくネズミ被害から抜け出した。

 

このほか、ネットで「海の鼠」「戸島 ネズミ被害」などとキーワードを入れて調べてみると、いくつかの記事が出てくる。

昭和31年には、愛媛県宇和島海岸地方鼠族駆除対策委員会が『ねずみとのたたかい』という報告書も出しているようだ。

それによると、戸島と、同じようにネズミ被害で苦しんだ日振島の両島に導入された天敵動物は、へび191匹、イタチ156匹、猫にいたっては4392匹!

駆除したネズミは11年間で86万1871匹にものぼったそうだ。

想像を絶する数である。

そうしてネズミが去ったあと、島には猫が残った…というわけか。

 

猫をもとめて日本各地の“猫島”を旅している人のブログも見つけた。この戸島、今は猫の数は多くないようだ。どこの町にもいるくらいのノラネコ、程度だとか。

だから各地の猫島のような賑わいはないが、そのブログを読むと、普通で平和な暮らしが営まれている感じが伝わってくる。ネズミとの戦いが壮絶だっただけに、むしろ、そのほうがほっとする…ように思う。

また、ここまで壮絶な歴史はなくても、各地の猫島にはそれぞれ歴史があるのかもしれない。いつか猫島に行くことがあったなら、そういう島の歴史も調べながら、島も楽しみ、猫との触れ合いも楽しみたいなと思う。


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