ご存じ、リリアン・J・ブラウンによる「シャム猫ココ・シリーズ」。
新聞記者クィラランのまわりで起きるさまざまな事件、絡み合う人間関係、そして殺人事件。
それをクィラランが推理して解いていこうとするとき、飼い猫のシャム猫・ココが不思議な力を発揮、鋭い洞察力と巧みな意思伝達方法でクィラランにヒントを送り、事件が解決に向かうというこの物語。
日本では、1988年11月に第1作目『猫は手がかりを読む』が発行され、最新刊の『猫はキッチンで奮闘する』(2008年1月)で実に30作品、関連図書も含めると30数冊が発行されているという大人気シリーズである。
…が、今日は「シャム猫ココ・シリーズ」の話ではなく、この表紙の装幀イラストの話。
私がこのシリーズを知ったのは、雑誌『SINRA』(1996年5月号)での特集「猫がわかる100冊の本」の中で紹介されていたのがきっかけだった。さまざまな猫本100冊が紹介されている中で、妙に心惹かれたのが「シャム猫ココ・シリーズ」の表紙イラストだったというわけだ。
特に目が印象的。
猫の体つきのしなやかな感じもいいのだが、やはり「目」。独特な、突き刺さってくるような目ヂカラ感が印象に残った。
その後、時は流れて古本屋になり、猫本を仕入れている中で、「おや?」と思ったのがこれだった。『猫の縁談』(出久根達郎著/中央公論社)。
「ん? シャム猫ココの絵と、雰囲気、似てない?」。そう思って確認してみたら同じ方が描いた絵だったのである。
これらの装幀を手がけたのは山城隆一さん。
1920年大阪生まれ。百貨店の宣伝部を経て、その後、デザイン事務所を設立。数々の広告関係の賞を受賞、つくば万博のアートディレクターを務めるなど、華々しい活躍をされていた方だということ。猫を愛し、猫の絵を多数描かれていることもわかった。
となると他の作品も見たくなり、入手した1冊がこれだ。
山城隆一さんが家で飼っていた猫についてのエッセイ集。
たとえば、山城さんは「白い猫を描くことが多かった」そうだが、そこには、18歳まで生きて亡くなった白い猫“おしぼり”の存在があったという。この“おしぼり”、ほとんど鳴くことがない猫だったらしい。ところが亡くなる直前、山城さんの奥さまに向けて、絞り出すように「ニャーお、ニャーお」と鳴いたのだとか。何を伝えたかったのか……。
本の装幀とはまた違う、優しい線で描かれた猫たち。外猫とケンカをしてケガをした“クロ”の話、“タラ”の放尿癖、巨大な爪とぎと化し粗大ゴミ化してしまったソファ…等々、山城家に暮らす猫たちとの生活が、あたたかな視線で綴られている。
山城さんが本書の中でこんなことを書いている。
《猫の絵をずうと描いていてつくづく思うのだが、なにがむずかしいかと云って、猫の目ほどむずかしいものはないと思う》
また、こんなことも。《ぼくは可愛らしい猫を描こうと思ったことはない。知らずしらずのうちに、人間臭い猫を描いてきたのかもしれない。そして最近、人間の目が猫に似ているなと強く思い始めた》
私が、山城さんが描く猫の絵の中でも特に惹かれる「目」。
そうか、ご本人は目を描くのに苦労され、そこに何か、込めたい思いもあったということだろうか。