初めまして。東京・西荻窪で猫用首輪の店「ネコソダテ」を営んでおります満間摂子(みつませつこ)と申します。現在は2匹の猫と暮らしております。

「ネコソダテ」は猫用首輪・迷子札のほか、オリジナルの雑貨の製造販売が中心。姉妹での分業体制で、首輪と迷子札の製作を妹、生地の仕入れやグラフィックまわりを私が担当しています。

活動開始は2013年。当初は首輪のみを販売していました。なぜ首輪なのか?ーーそのお話に入る前に、少し昔にさかのぼりたいと思います。しばしお付き合いください。

実家の猫「リキ」。女の子ですが、あまりの目力に男の子と間違えて男らしい名前になった女王様

猫だくさんの子ども時代

小学校にあがったばかりの夏休み、近所の神社に遊んでいると、いとこたちがダンボール箱を見つけてきました。中には、まだ目も開いていないぐらいの7匹の子猫たち。このままにしてはいけないと、連れて帰りました。何匹かはもらわれて行きましたが、家に残ったのは4匹。その後、子猫が生まれたり、捨て猫を引き受けたりしているうちに、多頭飼い環境へ突入。自宅には常時10~20匹程度の猫がいるという環境で暮らしていました。

どの猫も大好きでした。猫たちとの時間は宝物のよう。当時、私は学校が嫌いでしたが、猫たちといるだけで心が安らぎ、一緒に遊べば嫌なことはすうっと消えてゆきました。人間よりもずっと気の許せる友だちでした。

当時(1980年代)は今と違い、「猫は自由に」「首輪なんてかわいそう」という風潮。猫は家の中と外を自由に出入りできるようにして飼っているご家庭がほとんどでした。我が家の猫たちも外に出かけて行くことが多く、若くして交通事故や感染症などで命を落としてゆきました。首輪もしていないので、迷子になって帰って来なくなる猫もいました。子どもの私はどうすることもできず、胸を痛めていました。

念願の猫との生活

東京の大学へ進学をした私は、猫たちと別れ、ひとり暮らしを始めました。東京の賃貸住宅では「ペット可」でも「猫不可」の物件が多く、就職をしてからも長らく猫のいない毎日を送っていました。猫に会いたくなれば、実家に帰り、たっぷり猫成分を補給するだけの生活でした。

「このまま一生猫が飼えずに暮らさなくてはいけないのかなぁ」と思い始めたころ、ちょうどマンションの契約更新が近づいて来ました。ふと、「家を買ったらいいんじゃない?」と。家を買い、とある保護団体様から猫「トンキ」をもらい受けることになりました。

左「ライ」が右「トンキ」。いずれも保護団体様からもらい受けた猫たち

首輪屋事始め

譲渡にあたり、保護団体様に「首輪・迷子札を用意してください」と言われてから、本当にたくさんの首輪を見ました。着けたときのかわいさと、着け心地の良さ、両方を満たすものは多くなく、都度、妥協点を見つけては市販の首輪を買い直していました。

2匹目の猫「ライ」は生後2カ月で我が家に来ました。先住のトンキと違い、首輪の買い替えの頻度が高かったのです。首輪以外の素材も試しながら、ふと思い立って、手先の器用な妹に「こんなものがほしい」と首輪の試作を頼んでみました。

試作品1号の子猫「ライ」のために作った首輪。現在とはやや仕様が異なるが、現在もバンダナ風タイプがメイン

試作品はまずまずの出来栄えでした。妹は当時内職をしており、「内職よりもやりがいのある仕事にできたら……」と姉心で妹に無茶ぶりをしてみたところ、受けてくれることになりました。

「自分が猫だったら……?」と、猫目線で「爪が引っ掛かりそう」「擦れて気持ちが悪そう」「バンダナが汚れそう」などなど、徹底検証して行きました。相当細かいことを言ったので、「うるさいなー」と思ったことはあったでしょうが、妹は根気よく付き合ってくれました。

こうして、私たち姉妹2人による猫用首輪のブランド「ネコソダテ」が誕生しました。当初はイベント出展とネット販売のみでの活動でしたが、2016年6月に東京・西荻窪にショップをオープンして現在に至ります。

シンプルなバンダナ風首輪。柔らかく軽い着け心地で、首輪嫌いを克服する猫様も多数

店としては、雑貨やフードも扱っておりますが、主要商材が首輪ですので、首輪屋として、首輪について猫についての諸々を、皆様にお伝えできればと思っています。

>>このコラムニストの他の記事

著者:ネコソダテ 満間摂子

初めまして。東京・西荻窪で猫用首輪の店「ネコソダテ」を営んでおります満間摂子(みつませつこ)と申します。現在は2匹の猫と暮らしております。

「ネコソダテ」は猫用首輪・迷子札のほか、オリジナルの雑貨の製造販売が中心。姉妹での分業体制で、首輪と迷子札の製作を妹、生地の仕入れやグラフィックまわりを私が担当しています。

活動開始は2013年。当初は首輪のみを販売していました。なぜ首輪なのか?ーーそのお話に入る前に、少し昔にさかのぼりたいと思います。しばしお付き合いください。

実家の猫「リキ」。女の子ですが、あまりの目力に男の子と間違えて男らしい名前になった女王様

猫だくさんの子ども時代

小学校にあがったばかりの夏休み、近所の神社に遊んでいると、いとこたちがダンボール箱を見つけてきました。中には、まだ目も開いていないぐらいの7匹の子猫たち。このままにしてはいけないと、連れて帰りました。何匹かはもらわれて行きましたが、家に残ったのは4匹。その後、子猫が生まれたり、捨て猫を引き受けたりしているうちに、多頭飼い環境へ突入。自宅には常時10~20匹程度の猫がいるという環境で暮らしていました。

どの猫も大好きでした。猫たちとの時間は宝物のよう。当時、私は学校が嫌いでしたが、猫たちといるだけで心が安らぎ、一緒に遊べば嫌なことはすうっと消えてゆきました。人間よりもずっと気の許せる友だちでした。

当時(1980年代)は今と違い、「猫は自由に」「首輪なんてかわいそう」という風潮。猫は家の中と外を自由に出入りできるようにして飼っているご家庭がほとんどでした。我が家の猫たちも外に出かけて行くことが多く、若くして交通事故や感染症などで命を落としてゆきました。首輪もしていないので、迷子になって帰って来なくなる猫もいました。子どもの私はどうすることもできず、胸を痛めていました。

念願の猫との生活

東京の大学へ進学をした私は、猫たちと別れ、ひとり暮らしを始めました。東京の賃貸住宅では「ペット可」でも「猫不可」の物件が多く、就職をしてからも長らく猫のいない毎日を送っていました。猫に会いたくなれば、実家に帰り、たっぷり猫成分を補給するだけの生活でした。

「このまま一生猫が飼えずに暮らさなくてはいけないのかなぁ」と思い始めたころ、ちょうどマンションの契約更新が近づいて来ました。ふと、「家を買ったらいいんじゃない?」と。家を買い、とある保護団体様から猫「トンキ」をもらい受けることになりました。

左「ライ」が右「トンキ」。いずれも保護団体様からもらい受けた猫たち

首輪屋事始め

譲渡にあたり、保護団体様に「首輪・迷子札を用意してください」と言われてから、本当にたくさんの首輪を見ました。着けたときのかわいさと、着け心地の良さ、両方を満たすものは多くなく、都度、妥協点を見つけては市販の首輪を買い直していました。

2匹目の猫「ライ」は生後2カ月で我が家に来ました。先住のトンキと違い、首輪の買い替えの頻度が高かったのです。首輪以外の素材も試しながら、ふと思い立って、手先の器用な妹に「こんなものがほしい」と首輪の試作を頼んでみました。

試作品1号の子猫「ライ」のために作った首輪。現在とはやや仕様が異なるが、現在もバンダナ風タイプがメイン

試作品はまずまずの出来栄えでした。妹は当時内職をしており、「内職よりもやりがいのある仕事にできたら……」と姉心で妹に無茶ぶりをしてみたところ、受けてくれることになりました。

「自分が猫だったら……?」と、猫目線で「爪が引っ掛かりそう」「擦れて気持ちが悪そう」「バンダナが汚れそう」などなど、徹底検証して行きました。相当細かいことを言ったので、「うるさいなー」と思ったことはあったでしょうが、妹は根気よく付き合ってくれました。

こうして、私たち姉妹2人による猫用首輪のブランド「ネコソダテ」が誕生しました。当初はイベント出展とネット販売のみでの活動でしたが、2016年6月に東京・西荻窪にショップをオープンして現在に至ります。

シンプルなバンダナ風首輪。柔らかく軽い着け心地で、首輪嫌いを克服する猫様も多数

店としては、雑貨やフードも扱っておりますが、主要商材が首輪ですので、首輪屋として、首輪について猫についての諸々を、皆様にお伝えできればと思っています。

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著者:ネコソダテ 満間摂子